かこさとしの世界展

館林美術館の「かこさとしの世界展」に行ってきました。

本当に平和の尊さをこどもたちに伝えたい気持ちがあるからこそ、あんなにやさしい絵が描けるのだなぁ、と思いました。12月25日まで開催しています。オススメです。

子どもたちは、
ちゃんと自分の目で見て、
自分のあたまで考え、
自分の力で判断し
行動する賢さを
もつようになってほしい。
その手伝いをするのなら、
死にはぐれた意味も
あるかも知れない。

かこさとし

二年生の夏休みのことです。このころ、さとしは深い悩みに取りつかれていました。
戦争中はずっと軍国主義が当たり前で、それ以外の考え方は許されない時代でしたが、日本が戦争で負けると、世の大人たちはガラリと態度を変えました。

「戦争には最初から反対だった」
「アメリカに勝てるわけなんかなかった」
「軍国主義にだまされていた。これからは、民主主義でなければいかん」

戦争中はあれほど大声で日本万歳を叫んでおきながら、今頃そんなことを言う。無責任で恥ずかしい大人たちにさとしは深く絶望しました。

(そもそもぼくが軍人を志したのも、大人が言っていることの意味を考えることもせず、うのみにしただけのことだった。ただ親や先生を喜ばそう先回りしただけだ。自分では、かしこい選択のつもりだったが、戦争が世の中の政治や経済の裏側から出てくることなど考えもおよばない、その程度の浅知恵しかなかったのだ。

戦争をすればどれほど多くの人が死に、生き残った人たちも苦しむのか想像すらできなかった。いくら学校の勉強をしたって、そんなものはうわっつらだったということではないか。)

さとしは、くる日もくる日もそうやって徹底的に自分を批判し、責め続けました。

(ぼくが判断をあやまり、軍国主義に加担しようとしたことを、このまま何ごともなかったフリをして、おめおめ生きていくことなどぼくにはできない。何とかしてその償いをせねば、他人は良くてもぼくは納得できない。

もし、この先も生きることが許されるのならば、新しい命をもらったと思い、この子どもたちがぼくのように間違った判断をしない人になれるよう、自分で考えることができる人になれるよう、そのことにこの一生を使おう。それが死にはぐれた男のせめてもの償いだ。)

さとしは、そう心にちかいました。

「伝記を読もう かこさとし」より

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