「四つ仮名」にモヤモヤ! 

西川圭一(元高崎市教組)

こうずけ? こうづけ?

「むかしをかたる たごのこひ」

書の世界では、多胡碑はとってもすごい存在なんです。本場中国の学者も高い評価をしています。その多胡碑を含む「上野三碑」が5年前にユネスコ世界の記憶に登録されました。高崎駅の西口から入るとコンコースの真ん中に三碑のレプリカがドーンとありますよね。

平安時代以前の石碑というのは日本にわずか18基しか、その内の3つが高崎市の南東部のごく狭い範囲に集中しているというのは凄いことなんです。しかも、山ノ上碑は完全な形で残る石碑としては18基中の最古のものなんです。(681年建立、この話はまた後ほどゆっくりと・・・)

で、皆さん「上野三碑」をどう読みますか?ってちょっと失礼でしたね。まさか「うえの・・・」と読む上州人はいませんよね。若い先生方、大丈夫かなぁ。

問題は、ここなんです。この「こうずけさんぴ」という表記。ウィキペディアでも高崎市のHPでもこう書いているんですが、「う~~ん?」納得いかないんですよ私は!

だって、古代「かみつけ」って呼ばれていたのが「上野国」と書かれるようになって「かうづけ」と読み「こうづけ」になったんですヨ。どうして「こうずけ」になっちゃったの「こうづけ」って書いてほしいなあ、山本一太さん。

たしかに忠臣蔵で仇討ちされる吉良上野介は「こうづけのすけ」だったけど、まさかその「すけ」に点々じゃないでしょ。(この話もまた別の時に・・・)

じ・づ・ぢ・づ

これを「四つ仮名」問題と私は言っています。四つ仮名とは、「じ・ず・ぢ・づ」の4つの仮名文字のこと、それにまつわる使い方の混乱を四つ仮名問題と。

文字を持たなかった日本人は大陸から仏教と共に伝わってきた外来語の漢字を見事に自国の言葉を書き表す道具に変えました。そうして、平安時代からずっと下って江戸時代さらに明治時代ひいては終戦まで使っていたのが「歴史的仮名遣」といいます。この時代までは、語源にそって「四つ仮名」を書き分けようとしてきたんです。

ところが戦後GHQの介入もあって、「現代かなづかい」が決められ、さらに昭和61年「現代仮名遣い」へと改訂されましたが、ここで「四つ仮名」は原則として「じ・ず」に統一するとなっちゃったんです。例外は、わずかで「複合語」と「連濁」の時のみとなりました。「複合語」はまさに「鼻から出た血・鼻血」「三日目の月・三日月」など、「連濁」とは同音の繰り返しによる濁りのことで「つづく」「ちぢむ」などです。

つまり、それ以外は、元がどうであろうと「じ・ず」を使いなさいっていうんです。なんて乱暴な!長い靴だから「ながぐつ」、三日目の月だから「みかづき」って教えてきましたよねえ。これが「みかずき」だったら「三日だけ好き」になっちゃう。

おかしいものがいっぱい

おかしいものがいっぱい、「稲妻・いなずま」(つまだって言うの)「固唾・かたず」(つば飲むんでしょ)「杯・さかずき」(長い脚のついた、たかつきってのもありますよね)「世界中・せかいじゅう」(ちゅうちゃうんかい)「融通・ゆうずう」(とおすってことですよね)・・・これが「現代仮名遣い」ってヤツなんです。

昔から「富士」は「ふじ」でしたけど、藤の花って「ふぢ」だったんだそうです。だから本当なら藤岡市民は「ふぢおかしみん」。「葛湯」は「くずゆ」でいいんですけど「紙屑」は本来は「かみくづ」が正しい、でも今は「かみくず」。ま、「ややこしいから全部同じで良いじゃん。」となりましたとさ・・・。

なにも「てふてふ」とか「けふ」を復活させろといっているんじゃありません、「ふじ」と「ふぢ」や「くず」と「くづ」は遠い昔の発音の違いが今はなくなってきたためなので同化してもいいんですけど言葉に命があるものまでごちゃ混ぜってのはねえ・・・

「こうずけ」じゃあ「上の方のすけ」???何だったんだか分かんなくなっちゃう! 歴史的な謂れのある固有名詞までこんなふうにされちゃうのは残念だなあ。みなさんは、書き分けていましたか。

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