【声明】学校は行政の下部機関ではない

今回の問題について文書化することには、困難を伴いました。なぜなら外形的には「合法」であり、「市民サービスの向上」として歓迎する声も一定あるからです。
給特法の規定により、教員に時間外勤務を命じることはできません。そこで高崎市は、市の職員である校務員さんに時間外手当を支給し、「門を開ける」という業務を命じ、教員には(表面上)何も求めないことにしました。もし早く来た教員が校務員さんを手伝ったり、子ども同士のトラブルなどに対応しても、それは好きで勝手にやっていることになるので違法な業務命令とは言えません。これが常態化したら、「早く来る当番を決めましょう」などというシステムが自発的に作られ、学校は7時から託児所として機能するようになるかもしれません。
それらについては、「仕事は存在するが使用者は命じていないので、教員が自発的にやっているだけ」という、部活と同じロジックが成り立ちます。そして子どもを学校に受け入れている以上、安全管理について学校側には責任が生じます。実際に、始業前の教室で子どもたち同士のトラブルによる傷害事件が起こり、学校側の安全配慮義務違反として損害賠償を命じられた裁判例もあります。
もっとも単純な要求をするなら「県費職員は業務に関わらせるな」ということになりますが、それは本質ではありません。根本的な問題は、行政側の「思いつき」のような施策がトップダウンでどんどん降りてくるところです。
本来であれば市教委が「それはさすがに受け入れられない」と防波堤になるべきですが、残念ながらそうはなっていません。教育委員会にはぜひ、「地域の教育行政に直接責任を負うのは教委である」という矜持を取り戻し、教師に、教師としての仕事に全力を尽くせる環境を作っていただきたいと思います。
学校の早朝開門は本当に「市民サービスの向上」と言えるのでしょうか?
まず早朝の時間を奪うことで、職員の「市民」としての生活に悪影響を与えます。そして今でも、少なくない教職員が勤務開始時刻前から出勤しています。これは、本来勤務時間内に保障されるべき授業準備等の時間がとれないため、「よりよい教育活動のため」に苦肉の策として行っているものです。そうやって自己犠牲によって捻出している時間を更に奪うことで、教職員の疲弊はますます進みます。その結果、不十分な準備で授業をせざるを得なくなり、結果的に不利益を被るのは子どもたちです。
そもそも「早朝から子どもを預けて長時間労働しなければならない社会」の方が異常です。人間は、幸せに生きるために働くのです。働くために自分や子ども、他人を不幸にする社会であれば、その社会の方を変えるべきであると、私たちは考え、行動します。
「私たちは発展するために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ」ホセ・ムヒカ