文科省による夏休みの学校開放要請について

学校の実際と今後の展望
夏休みに入る2週間前、突然発出されて学校現場をざわつかせた、文科省による学校開放要請。全群教が県教委に確認したところ、教委から学校現場に「学校を開放せよ」という要請は出ていません。現場からもそうした声はありません。
理由としては、「要請先の宛名が学校人事課ではないこと」、「2週間前に『やれ』と言われても不可能であること」などが考えられます。権力者が安易な「思いつき」を軽々しく口にすることで現場は振り回されます。日本の教育政策が常に迷走するのは、現場の声を聞かないことが最大の原因です。国連の勧告を受け入れて、教職員組合の意見をきちんと聞くべきです。
今回の文科省の対応を好意的に考えれば、「政治家が稚拙な案を出してきたが、こんなことをすれば学校現場が混乱するのは目に見えている。要請の宛名を社会教育課・青少年教育課にして『学校施設や社会教育施設』としておけば、学校に直接影響はないはずだ」と、現場の官僚たちがお茶を濁す対応をしてくれたのかもしれません。しかし仮にそうだったとしても、それは根本的な解決にはつながりません。愚策に対しては「お茶を濁す」のではなく、「誤りだからやめよ」とハッキリ言うべきです。
今のところ、現場に大きな混乱はもたらしていませんが、今後本格的にそういう方向に向かっていく可能性もあります。今回の文科省要請の問題点を社会全体で共有し、「始めさせない」ことが重要です。どんな愚策であっても、一度始めてしまったものをやめるには、大きな労力を必要とします。(教員免許更新制がよい例です)

「生きづらい社会構造を変える」という視点がない
「子どもの居場所」は必要です。しかし本来、休みの日の子どもの居場所は家庭であり、家庭こそが安心できる場でなければなりません。政治が目指すべき解決策は、「親の多忙や経済的事情」を解消し、「生きやすい社会構造」を構築することであり(その際のロールモデルは北欧などの人権先進国)、学校を無料託児所にすることではありません。
そのためには人々の生活のために予算を投入し、社会構造を変革していく必要があります。しかし、その道(人々のための予算増)は最初から論外とし、「学校と教員を使えば予算をかけずに問題を解決できる」という稚拙で安易な発想から、愚策が次々と生み出されます。高崎の7時開門と同根です。
- 親が長時間働くためには子どもが邪魔。
- 邪魔な子どもを預ける場所が必要。
- 学校を使えば安上がりに済む。
という発想は、子どもを「邪魔者」と考え、「邪魔な子どもを預けたい」というところからきており、子どもたちの最善の利益について真剣に考えた結果ではありません。当然、子どもの権利条約に反しています。本来変えるべきは、「親が長時間働かねばならない社会」「子どもを邪魔者と考える社会」などの、生きづらい社会構造です。
学校は教育機関である
学校は、教科の授業や特別活動、学校行事などを通して子どもたちの「人格の完成」を目指して教育活動を行う機関です。それらの教育活動には周到な計画や準備が必要であり、教師の専門性が必須ですが、外部からそれは見えません。今回の稚拙な思いつきは、そうした目に見えない教師の専門性や日常の努力を軽視しており、「学校は教育機関である」という大前提を無視しています。
学校は「教育活動のため」に子どもを預かっています。そしてそこには責任が生じます。だから安全管理や子ども同士のトラブルなどにも対応します。もし、夏休みの居場所づくりのために「教育活動ではないが子どもを預かる」となった場合も、安全管理の問題や子ども同士のトラブルは必ず生じます。
子どもを預かる以上、「居場所を提供するだけなので、所在の確認も安全確保もしません」という無責任な態度をとるわけにはいきません(高崎市の7時開門は「それをやれ」という無責任極まりない施策です。だから私たちは反対し続けています)。文科大臣が無責任に「教員の負担は増やさない」と言ったところで、実際には教員が関わらざるを得ないのです。
日頃、労基法違反の状態で長時間労働をしている教員が、休暇を取得したり、授業についてじっくり考えたりできる唯一の時間が夏休みです。夏休みの学校開放は教師の専門性・創造性・人間性を磨く時間を奪うこととなり、結果的に教育の質を低下させます。教師から時間を奪うことは、教育機関としての学校にとって最大の悪手です。
優先順位が間違っている
親の多忙や貧困といった問題の解消には、「公共の利益より、一部の人たちの金銭的利潤を優先する現在の社会構造」の変革が必要です。しかし、それを待ってはいられないから当面、「暫定的に子どもの居場所づくりが必要」というのであれば理解できる部分もあります。しかし文科省には、そういった本質的な変革を目指すビジョンがありません。
- 学校という「場」がある。
- 教員という「大人の目」がある。
- だから学校を開放すれば託児所になる。
という極めて安易で、人権を軽視した発想であると言わざるを得ません。
夏休み中の子どもの居場所としては、すでに学童保育が存在しています。本気で子どもの居場所を作るつもりがあるのであれば、学童保育の充実が先です。学童保育所の指導員の労働条件を十分生活していけるだけのものにすれば、学童保育をもっと充実させることができます。しかし、そこに予算をかけずに問題をやり過ごすため、学校に学童の機能も担わせようというのが今回の文科省案です。
介護や保育など、「人間の幸せのために絶対に必要であるが、儲けを生み出さない仕事」を正当に評価せず、個々人の善意に頼ってきた日本社会の歪みが、学校へのしわ寄せとなって表出しています。高崎の7時開門や、今回の文科省案が多くの人の反感を呼ぶのは、子どもたちや働く人の人権を軽視しているからです。
こうした愚策に対する憤りを、「仕方ない」と諦めたり、Xで愚痴を言ったりするだけでなく行動に移し、子どもたちや働く人の人権を大切にする社会に転換するためのきっかけにしていきましょう。
全教による文科省要請


