エッセンシャル教師
エッセンシャル思考を読もう
「エッセンシャル思考」著者のグレッグ・マキューンはシリコンバレーのコンサル会社のCEO。「スーパーリッチのセレブが書いた本なんか興味ないよ」「どうせ自己啓発本でしょ?」と思う人もいるかもしれませんが、騙されたと思って読んでみてください。学校の先生にも参考になる本だと思います。
彼は身を粉にして働いていた。どんなに無茶なスケジュールでも「やります」と答え、とうていやりきれない量の仕事を抱え込む。徐々にストレスがたまり、仕事の質は落ちていった。
「エッセンシャル思考」グレッグ・マキューン
先生には真面目でいい人が多いです。本来の仕事でないことも、お願いされると何でも引き受け、自分や家族を犠牲にしてでも何とかこなしてしまいます。しかも、「子どものためなんだから、何でも引き受けるのが当たり前」という学校文化が出来上がっているので、「私はやりません」などと言える雰囲気ではありません。
そうやって本来の仕事以外のことまで抱え込み過ぎた結果、「教師が本来の仕事に力を注げない」という本末転倒な状態に陥りました。
あれもこれもと増え続けた仕事は、1つ1つを見ればそれほど大変ではないものもあります。しかし10分かかる仕事が10個増えれば100分です。一日の授業を終えるだけで勤務時間はほとんど終わるのに、そこから100分労働時間が増えることになります。しかも「これって教員の仕事なのかな…」と思う仕事も少なくありません。
疑問を感じながらこなす仕事は時間だけではなく、精神的余裕や やりがい も奪っていきます。私たちはプロの教師だからこそ、本来やるべき仕事の質を上げるために、時には「NO」という勇気をもつことも必要なのではないでしょうか。
ジョージ・オーウェルの有名な寓話小説『動物農場』に、ボクサーという名の馬が登場する。まじめで屈強な馬だ。動物たちが困難に出会うたび、「俺がもっと働こう」と言って仕事を引き受ける。だが過酷な状況の中で、ついにボクサーは働きすぎて倒れ、解体業者のもとへ送られる。皮肉なことに、みんなのために一生懸命働いたボクサーの努力は、むしろ独裁者による搾取を助長しただけだった。
「エッセンシャル思考」グレッグ・マキューン
疲弊して辞めていく先生が増えています。希望をもって先生になった若者が「先生としての仕事をするための時間がない…」と燃え尽き、辞めていく労働環境は異常です。
大事なことは自分で決める
以前仕事で関わったある経営チームは、仕事を受けるかどうかの判断に、3つの明確な基準を使っていた。ところが、やがてその基準がどんどんあいまいになり、言われた仕事は何でもやる状態になってしまった。その結果、チームの士気は激しく落ち込んだ。仕事量が増え過ぎたせいもあるが、どの仕事にもやるべき理由が感じられなかったからだ。仕事は無意味な作業になった。
「エッセンシャル思考」グレッグ・マキューン
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どうすれば定時で帰れるの?
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定時で帰ることです。
「ちょっと何言ってるか分からない」と思うかもしれませんが、定時で帰る方法は「定時で帰ること」です。
教職員の労働時間は1日7時間45分以内と決められています。校長が、定時に帰ろうとする人に「帰らずに仕事をしろ」と言うと違法なので、定時後まで仕事をした場合、法的には「自発的」に残っていると扱われます。
これは給特法があるからですが、逆を言えば、給特法は「校長が時間外勤務を命じることを禁じている」ので、「定時に帰る」と自分で決めて帰れば誰も止められません。つまり、定時で帰れなくさせているのは「法」ではなく「空気」であり、自分自身なのです。
給特法はもともと「教員に残業代を支払わないため」という不純な動機で作られた法律ですが、「教員の仕事は単純に労働時間で測れない」という理屈は一理あります。例えば、翌日の授業をよりよいものにしたいから「どうしても残りたい」と思う時もあるでしょう。そして本当に「自発的に」自分で決めたことであれば、「嫌だなぁ、帰りたいなぁ」とは思わないはずです。
問題は、現実的に「自分で決める権限がない」ということです。しかし先述の通り、「権限がない」と思わせているのは法ではなく空気です。私たちが打ち破るべきは「法」ではなく、違法な労働環境を是認している「空気」です。そう思うと、打ち破れそうな気がしてきませんか?
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そんなこと言っても、仕事が多くて帰れないよ
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「やる・やらない」を自分で決めましょう。
仕事の軽重を自分で判断しましょう。
①重要で、どうしてもやらなければならないこと(授業など)
②重要ではないが、どうしてもやらなければならないこと(職務命令による書類作成など)
③重要だが、やらねばならない義務はないこと(児童生徒に関わるが、職務命令ではないこと)
④やった方がいいかもしれないが、やらなくてもいいこと(学級通信など、自分の裁量でできること)
⑤意味はないが慣習的にやっていること(学校でやっている「意味のないこと」を想像してください)
例えば
②事務的にサッサと終わらせる。
③教師として「これは放っておけない」と判断したら、周りの先生にも助けを求め、児童生徒に最善となる方法を考えて行動する。
④自分に余力があり、「やりたい」と思ったらやる。
⑤自分の判断でやめられることはやめ、そうでないものは先輩や管理職に「これ、やめた方がよくないですか?」と相談する。
①定時で帰り、家でじっくり授業の工夫を考える。(仕事の持ち帰りを推奨するものではありません。勤務時間内にできればベストです)
これはあくまで一例です。大事なことは「何が必要で、何が必要ないのか」を自分で考え、決めることです。軽重をつけず、どれも全力でやっていたらパンクするのは当然です。
法定労働時間は誰にも7時間45分です。その中で、もっとも重要な①の仕事に注力するためにはどうするべきか、自分で時間配分をしていくことが大切です。
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仕事を減らす義務は校長にあるのでは?
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その通りです。しっかり労務管理するよう、校長と交渉しましょう。
校長は職員の労働時間を1日7時間45分以内、週38時間45分以内に収まるようにする義務があります。管理職の仕事は職員を支配管理することではなく、法令に則った労務管理をすることです。しかし給特法が悪用され、「自発的にやっているだけだから労務管理する必要はない」という、誤った慣習が続いてきました。
学校では法令より慣習が重視されます。法令の方が大切なのは言うまでもありませんが、校長(使用者)も職員(労働者)も法令を理解していなかったら法令が守られるはずがありません。
使用者と労働者、労働時間に関する法令が守られないことで不利益を被るのは労働者です。使用者は、労働者が権利を主張しない限り、法令違反を犯していても不利益を被りません。つまり法令が守られる労働環境を実現するには、労働者自身が法令を理解し、守らせなければならないのです。
誰にも嫌われたくない…
要求を断ったら嫌われないだろうか…
誰にも嫌われたくはないですよね。しかし残念ながらそれは不可能です。人間の好き嫌いは内心の自由であり、あなたを嫌うかどうかの主導権は相手にあるからです。
逆を言えば、どれほど相手に服従しても、媚びへつらっても、嫌われるときは嫌われます。であれば、自分を偽ってまで誰かの価値観に合わせることは人生の浪費です。相手に嫌われないためだけに「おかしい」と思うことに人生を捧げているなら、勇気をもって断ることが必要です。
自分が「正しい」と思うことと、誰かが「やれ」と言うことが、食い違っていた経験はあるだろうか。心の中で違うと思いながら、仕方なく行動したことは? 他人の顔色をうかがい、場を丸くおさめるためにイエスと言ったことは?
断るためには勇気が必要だ。「重要なことだけに集中しろ」と言うのはたやすいが、それを本当に実践している人は多くない。
あらゆる依頼を断れと言っているわけではない。本当に重要なことをやるために、本質的でない依頼を断るのだ。うまく依頼を断ることは、「自分の時間を安売りしない」というメッセージになる。これはプロフェッショナルの証だ。
「エッセンシャル思考」グレッグ・マキューン
NOを言うために必要なものは、理論的根拠、嫌われる勇気、そして仲間です。
理論的根拠となるのは、憲法、労基法を始めとする各種法令です。「法令のこの条文に違反しているので、この仕事を押し付けることは違法である」と自分の中で理解することが必要です。
そして法令を理解しても、実際に依頼を断るには勇気が必要です。違法であっても、慣習的に「やって当たり前」となっている仕事を断れば、誰かに嫌われる可能性はあります。しかしそれでも、実際に行動に移さなければ現実を変えることはできません。
だから仲間が必要です。口には出さなくても、「この働き方、変だよなぁ…」と違和感を抱いている人や、「本当は早く帰らないと子どものお迎えが…」などと困っている人は結構います。そして違和感のある働き方は、法令に照らすと違法である場合が多いです。共感してくれる仲間を増やし、嫌われることを過度に恐れず、NOと言える職場環境を自分たちで作っていきたいものです。
「エッセンシャル思考」で意外だったのは、「同調圧力」は日本特有のものではないということです。考えてみると当たり前ですが、欧米にもパワハラや同調圧力はあって、「おかしい」と思った人たちが行動することで、少しずつ社会を変えていったのです。
私たちも行動して、「学校の当たり前」を変えていきませんか?