ディベートのススメ
考え、議論する道徳?
道徳って不思議です。
「感謝」とか「遵法精神」とか、子どもたちの心のありように国が決めた22個(低学年は19、中学年は20)の正解が決まっていて、そこに向かって授業をする。
「道徳に正解はない」と言いながら、「内容項目に子どもたちを誘導する授業をせよ」という無理ゲーを強いられる。そして子どもたちには「正解はないんだよ」と言いながら、自由な意見を言うと「それは違う」とたしなめる。
良心の自由に反してるゾ!
「遵法」って、文科省や教委が労働法守ってないじゃん!
何で「平和」や「民主主義」は内容項目にないの?
など突っ込みどころは満載です。
これは道徳導入の歴史が関係しているのですが、今回は割愛します。
道徳教科化については色々と問題はありますが(問題しかありませんが)、文科省が「考え、議論する道徳」をやれと言うのだから、遠慮せずどんどんやりましょう。
指導要領をバイブルとして、子どもたちの価値観を誘導するような授業をすれば、エライ人にホメられるかもしれません。でも、別にエライ人にホメられたくて先生やってるワケじゃないですよね???
目の前の子どもたちに全力で向き合って授業をすればいいのです。
校則は必要? 不要?
ひとつのオススメがディベートです。例えば、「校則は必要か、不要か」という議題でやってみます。
指導要領が求める正解は、「よりよい学校生活のために校則は必要。みんなでしっかり守っていくべきですね」という結論に向かっていく授業です。でも、「道徳に正解はナイ」というのが建前なので、どんどん考え、議論しちゃいましょう。
この議題を提示すると一部の生徒たちからは「校則いらないよー!」という反応が出るはずです。そういう反応が起きないなら、自由に意見を言えない雰囲気を作ってしまっているのかもしれません。あるいは忖度して、先生の期待する意見しか言わない子どもを育ててしまっているか…
秩序がない学級崩壊状態はいけませんが、安心して意見が言えないクラスなんて嫌ですよね。
こんなことやらせて、生徒たちが「校則はいらない」なんて言い出したらどう責任取るんだ!
なんて怒る人もいますが(実際にそういう校長がいました)、「意見を言えない雰囲気を作り、思考停止させて従わせる」のは戦前の教育と同じです。意見を出し、考えた上で、「そのルールが納得できるなら従う。納得できないならルールを変えるために努力する」生徒を育てる方がよほど教育的です。
それはともかく、ディベートの実践例
正式なルールもありますが、大会に出るワケではないのでこだわる必要はありません。子どもたちの実態に合わせて、独自ルールを作ってもよいでしょう。(図書館でも、YouTubeでも参考資料を探せます)
1つの例として、必要派チームと不要派チームで議論します(しばりのない、自由なディスカッションを行うときもあります)。それ以外の人たちはオーディエンスとして議論を見守ります。意見や質問もできます。
最後は「どちらの方がより論理的で説得力があったか」を判定し、勝敗を決めます(決めない時もあります)。教員はファシリテーターとして議論を盛り上げます。イメージは「マイケル・サンデルの白熱教室」です。
事前に、議論したい人を募り、必要な理由と不要な理由を考えておいてもらいます。(かつてはそうしていましたが、今はタブレットがあるので、授業中にしっかり下調べをすることができます)
そして当日、必要派と不要派、どちらの立場で議論するかはじゃんけんで決めます。世の中には100%正しいことも、100%間違っていることも、あまりありません(ただし「人権侵害は100%間違っている」という認識は必要だと考えます)。偶然に頼って立場を決めることで、「どちらの立場もそれぞれの理屈をもっている」ということに気づくきっかけになります。
世の中の争いは大抵、「私たちは正しい。あなたたちは間違っている」という善悪二元論から起こります。考え、議論することで、「正義の反対は悪ではなく、もうひとつの正義なんだ」と気づくきっかけを作りたいですね。
弁証法的に考える
対立する意見をぶつけ、議論することによって思考が深まり、多様な価値観に気づけます。
単に「校則は必要だと思いますか、不要だと思いますか、挙手してください」と多数決を取ることには何の意味もありませんが、こうした対立軸を切り口に話し合うのは有意義な学習になります。そして、何より楽しいです。
「先生、次のディベートはいつやるんですか? 次は絶対勝ちたいんです!」なんて、嬉しそうに話しかけてくる生徒もいます。
さぁ、今度はどんな楽しい授業やろうかな♪