「それ、パワハラです」と言えなくなる?

問題① 現場に届かない

県教委から4月1日付で「学校におけるハラスメントの防止に関する指針」が出されましたが、全群教が調査した範囲において、この指針を職員会議で取り上げた学校は1校もありませんでした。(4月15日現在)

全群教では毎年県教委に対し、パワハラ根絶のための具体的行動を要求しています。また個別の事例に対しては、当該校の管理職と団体交渉を行い、実際にやめさせたりもしています。

管理職をはじめ職場の「パワハラ」について、通報や相談の窓口を第三者機関として設置すること。また、管理職への指導を強化すするとともに、具体的な改善策を実施すること。

2021年度 県教委への要求書より

全群教からの要求の積み重ねもあり、近年は県教委もパワハラに敏感になってきました。だからこそ、こういった指針を出したのだと思いますが、肝心の現場には伝わっていません。実際にどうやってパワハラをなくしていくのか、今後の交渉によって確認していきたいと考えています。

いくら指針を出しても、現場は「誰も知らない」のでは意味がないですよね。

問題② 中身

もう1つの問題は中身です。

「学校におけるハラスメントの防止に関する指針」より

職務上正しいことを命令指導とはどういうことでしょう?
上の立場にいる人が「正しい」という前提で書かれているように読み取れます。

「正しい」という言葉には主観が伴います。例えば、生徒を厳しく管理することが「正しい」と考えている人が校長であれば、そうは考えていない先生のやり方を「甘い」と感じ、自分が考える「正しい」やり方を「命令」するかもしれません。

校長が命じることができるのは「自分が正しいと信じていること」ではなく、「法令上、職務として命じる根拠のあること」です。指針の書き方だと、怒鳴りつけたりしなければ「自分が正しいと信じていること」を命じられると読めます。

また「指導」という言葉は上下関係が前提となっており、年少者へのリスペクトがありません。もちろん仕事のことで先輩が後輩に助言したり、一緒に考えたりということは必要ですが、「同じ社会人として尊重する」という姿勢が感じられません。

これでは「若い人は早く来て先輩のお茶を入れるものだよ」とか「部活があるんだから土日に休むなんて教師失格だよ」といった法的根拠がないことでも、その人が「正しい」と信じていることであれば「正しい指導」と認識されてしまいます。

「受け手が不快と感じた場合でも、職務の適正な範囲で行われた場合、パワハラに該当しません」とも書かれています。

パワハラしている人は「自分がパワハラをしている」とは思っていません。「自分は職務の適正な範囲内で正しい指導をしている」と思っているものです。

これでは「それ、パワハラです」と言えなくなってしまいます。

解決策① 全群教に加入する

問題は、声を上げたときに初めて「問題」として認識されます。

子どものいじめを想定してください。暴力などの分かりやすい事象がない限り、いじめられている側が「助けてほしい」と訴えてくれなければ、そしてそれをいじめた側が認めなければ、いじめと断定するのは難しいですよね。

パワハラは大人のいじめです。労働者側が「パワハラであると認識せよ」と訴え、使用者側が「確かにパワハラでした。申し訳ありませんでした」と認めたとき、それは初めてパワハラと認定されます。声を上げてもいないのに、誰かが風のようにやってきて助けてくれることはありません。

でも、自分がパワハラを受けたとき「あなた、私にパワハラしたことを認めなさい」と一人で言えるでしょうか。そして一人で言ったとして、相手が認めるでしょうか。多くの場合は言えないし、相手も認めないでしょう。

だから労働者には労働組合を結成する権利が認められているのです。労働組合は法律によって労使の対等性を確保し、労働者が自分たちの人権を自分たちで守る権利を保障しています。言い方を変えれば、労働組合に加入しない限り、労働者は使用者と対等になれません。つまり人権を守る権利が保障されないということです。

労働組合に加入しないのって、「人権を守る権利を放棄すること」なの!?

細かいことを言うと、公務員は労働組合法の適用除外とされているため、法的には地方公務員法上の「職員団体」に当たりますが、広義の意味で『労働組合』と捉えていただいて問題ありません。

解決策② そして行動する

労働組合は水戸黄門の印籠のように、「私は組合員です」と言えば周囲が「ハハーッ」とひれ伏すものではありません。現実として対等ではない労使の力関係を、団結と行動によって対等な状況まで引き上げ、交渉によって権利を獲得していく労働者同士の助け合いの団体です。

スイミーを思い出してください。スイミーたちが力を合わせて行動しなければ、大きな魚と対等に渡り合うことはできません。だから一人一人が少しずつ力を出し合い、団結して立ち向かっているのです。

あなたがパワハラを受けても黙っていれば、それはパワハラと認識されません。「どうせ変わらないし、自分が我慢すれば済むこと…」と思う人もいるかもしれませんが、誰かが我慢してしまうことでそのパワハラは「してもよいこと」と認識されてしまいます。

そんな職場では、当然パワハラが起こりやすくなります。加害者はパワハラであることに気づいてすらいませんし、それが常態化してしまえばパワハラ行為自体が市民権を得てしまいます。

例えば勤務時間前に、若い人にお茶汲みをさせるなんていうのもパワハラですが、それが常識となって市民権を得てしまうと「それ、やめませんか?」と言う側が非常識という空気になってしまいます。

だから勇気を出してパワハラをやめさせることは「自分のため」であると同時に「みんなのため」「未来のため」でもあるのです。

いきなり全体に提案するのはハードルが高ければ、まずは隣の人と話してみませんか?

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