ブカツの疑問⑤

部活と生徒の人権(3)

3つの観点から考えてみます

①部活と顧問のミスマッチ
②無償であることの問題点(前回:ブカツのギモン④)
③教員も生徒も、世界が学校だけになる (今回)

全群教は、部活顧問の強制を批判しています。
懸命に部活指導をしている先生方を批判する意図はありません。
部活推進派 vs 部活反対派 といった感情的な対立にせず、
部活問題を解決に近づける努力をしていきたいと考えています。

③教員も生徒も、世界が学校だけになる

「部活を頑張ることは素晴らしい」
だから、もっとやるべきだ!
長年それが是とされてきました。

「部活を頑張ることが素晴らしい」のは事実ですし、教育的意義も効果もあったから今まで続いてきたのだろうと思います。

しかし…
朝練、授業、部活。土日祝日も朝から夕方まで部活。長期休みも毎日部活部活部活…。
これだと生徒も教師も人生がほぼ学校で完結してしまいます。

生徒の場合

何か1つのことに一生懸命に打ち込むのは素晴らしいことです。しかし全員がそうである必要はないし、1つのことだけでなく、色々なことに興味をもち、試してみることもまた同様に素晴らしいことのはずです。

例えば野球が大好きな生徒がいて、野球部で毎日クタクタになっていたとします。その生徒が「スケートボードもやってみたい」とか、「学校外で英会話やプログラミングを勉強したい」などと思っても、余力がなければ他のことにチャレンジすることもできません。

あるいは、「吹奏楽もやりたい」「バスケもやりたい」などと思っていても、現実には1つを選んでやり続けるのが暗黙のルールであり、「色々なことを程々にやる」という選択肢がありません。「気軽に色々と試してみる」という選択肢があれば、もっと柔軟な考え方をもてるかもしれません。(仮入部がずっと続くようなイメージです)

また、最初は3年間続けようと思って入ったけれど、「これ違うな…」と思ったらやめることも素晴らしい決断です。だって、自分のことを自分で決めているわけですから。まさに「自主的・自発的」な態度です。部活をやめることは否定的に捉えられることが多いですが、「最初の判断が間違っていたから、やり直したい」と自ら決断を下すことも成長の1つとも言えます。

本人が悩んで下した決断を否定したり、「1つの部活にすべてをかけるのがよいこと」という固定観念を押し付けることは、生徒たちの可能性を狭めてしまう可能性もあります。

参考までに、新聞記事を引用します。

岐阜県内のある人は中学時代、運動部で仲間外れにされ、学校を休みがちになった。退部の意向を伝えたが、学校側は「全員加入制」を理由に他部に移るよう求めてきた。学習指導要領で部活は「自主的、自発的」であるのを根拠に教育委員会と交渉し部活への不加入が認められた。

石川県内のある人は、幼い頃に始めたバレエは部活に時間を取られてしまうため諦めた。「部活がなければ、もっとやりたいことに時間を使えた。選択は生徒の自由であるべきです」

2022年4月13日「毎日新聞」朝刊より抜粋

教師の場合

部活は、やればやるほど生徒の力を伸ばせます。
やればやるほど生徒や保護者との信頼関係も深まります。
一生懸命指導すればするほど「勝たせてあげたい」という気持ちになります。

自費で本やDVDを買い、練習メニューを研究して、審判講習や指導者講習も受けている人もたくさんいます。そうやって教師も全力を尽くすことで、生徒たちとたくさんの感動を共有することができます。

しかし根本的なこととして「部活は教師の仕事なのか?」という問題があります。そして答えは明確です。全員が教科で採用されており、大学で部活に関して専門的に学んではいません。

1日の勤務時間は7時間45分(週では38時間45分)と決められていますし、県教委は部活を先生たちの『自発的勤務』と呼んでいます。つまり法的には「(正式な業務という意味での)仕事ではない」ということになります。

「教師の仕事は授業だけではない」と批判される方もいます。それはその通りです。しかし、授業以外の教育活動については「特別活動」として指導要領に明記されています。部活は「特別活動」ではなく課外活動です。部活については2007年以降「総則」に記述がありますが、これは「特別活動」と銘打ってしまうと正式な業務となり、違法な時間外労働を命じることになってしまうためです。参考:学習指導要領の一覧

仕事ではないにも関わらず、教師は部活に膨大な時間を注ぎ込むことになります。すると、自分の教科を教えるための研究に十分な時間を割くことができません。休日も部活が忙しいので旅行にもいけませんし、体調が悪くても、病院に行くことすらできません。

プライベートがなくなるので、自分自身が様々な経験を積む時間的、精神的、肉体的余裕をもてずに疲弊していきます。中教審答申でも「教育は、教師と子どもたちとの人格的ふれあいを通じて行われる営み」と言っているのに、教師が自分自身の人格を向上させる時間を取れないのです。それに、(マニュアル本ではない)専門書をじっくり読んで考える時間が取れなければ、授業の内容が薄くなっていくのは必然です。

自ら一生の仕事として選んだ『教師』という職業に100%の力を注げなくなり、「教師の仕事は好きだけど、部活が辛過ぎる」と退職していく先生も少なくありません。過労が原因で体を壊したり、亡くなったりしている方もいます。

「教師になりたい」とこの仕事を選んだ人たちを、本来の仕事ではないことで追い込んでいる現状は、結果的に子どもたちの「教育を受ける権利」を侵害することになるのではないでしょうか。

教育を受ける権利

部活問題は第一に教員の労働問題、そして人権問題であり早急に解決すべきものですが、「生徒の人権」という観点から見ても、今までのやり方を変えていくべき時期に来ていると思います。

教師はまず「教育とは何なのか」についてじっくり考えることが必要です。一人一人の教師が「目の前の子どもたちに本当に必要なことは何なのか」について深く考えることもないまま、「今までそうだったから」という理由で前例踏襲していくあり方には議論が必要です。しかし、日々の雑務に忙殺される教育現場では、「そんなことを考えている余裕などない」というのが本音でしょう。

だからこそ教師にゆとりが必要です。教師が、教育についてじっくり考えたり、議論したりする余裕もない状態で、目の前の子どもたちに本当の意味での「教育を受ける権利」を保障できるはずがありません。

教師が「人間らしい生活」を送り、気持ちにもゆとりをもって仕事に臨むことで、「教育とは何なのか」についてじっくり考えることができます。それは結果的に「よりよい教育」を子どもたちに保障することにつながります。

教師のゆとりある働き方を実現していくことが、憲法26条に謳われる「教育を受ける権利」を守ることにつながっていくと、全群教は考えています。

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