人権教育、何すればいいの?

人権とは何か

人権という言葉はよく聞きますが、「そもそも人権って何?」と聞かれるとよく分かりませんよね。よく分かってないのに「人権教育をしなさい」と言われれば、「何すればいいんですか?」となります。すると教委は「では研修をします。こういうことを人権教育として行ってください。あ、もちろん報告書を出してくださいね」となります。

教委は文科省が決めた「人権教育」の定義を元に研修を実施し、私たちには提出すること自体が目的の書類作成作業が増えます。すると、「書類を作成するために、とりあえず人権の授業をする」という本末転倒な事態も起こってきます。

学校では「人権標語と作文を書きましょう。文科省推薦の人権DVDを見て感想を書きましょう。道徳でいじめについて学びましょう」となりがちです。そして「こういうことを実施し、こんな成果がありました」という報告書にまとめて教委に提出します。でも本当にこれでいいのでしょうか?

教師が「人権とは何か」が分かっていないとマニュアルを求めたくなります。しかしマニュアルをなぞるだけの授業で、子どもたちは本気で人権について考えるでしょうか。

私たち教師がまずすべきは「人権とは何か」について学び、深く考えることだと思います。そして自分自身が本気で腹落ちした時、「これを子どもたちに伝えたい。どうすれば伝わるだろうか」と、授業の工夫がしたくなるはずです。

教師に「学ぶ時間を保障する」ためにも、仕事の負担軽減と長時間労働の解消が必要です。一切の余白がないまま、目の前の仕事を片付けることに汲々とする働き方では、良い授業を創造できません。

人権と「道徳」は相性が悪い

「人権教育を道徳の授業の中で行おう」と考える人も多いと思います。しかし、実は人権と「道徳」は非常に相性が悪いです。「うそーん!?」と思うかもしれませんが、歴史を学ぶと腑に落ちると思います。

人権とは、抑圧された人々が、その当時の「道徳」を打ち破って勝ち取ってきたものです。例えば昔は、国民は国家に従順であること、女は男に従順であること、などが道徳的な態度でした(今もそういった価値観をもつ人たちはいますけどね)。そんな中、権力者の価値観や時代の空気に定められた「道徳」に疑問をもち、抗った人々が人権を求めて戦いました。キング牧師もガンジーも杉原千畝も、当時の支配層の価値観の中では非道徳的な人たちだったわけです。

そういった視点から 指導要領 第3章 道徳 を読み直してみてください。自己犠牲や既成のルールの遵守、国に誇りをもつことばかりが求められ、今まさに人権を踏みにじられている人々が声を上げ、権利を勝ち取るべきだという視点はありません

道徳の教科書を読んでいて「あからさまに間違ったことを言っているわけではないんだけど、何か気持ち悪いなぁ…」と感じること、ありませんか? 「何か気持ち悪い」という感覚は根底に人権思想がないことから生まれるのだと思います。

なぜ人権思想がないかと言えば、「道徳」のルーツが戦前の「修身」にあるからです。歴史を見れば、「道徳」が「修身」の焼き直しであることに疑いの余地はありません。

戦後、「修身」は廃止されましたが、戦前の家父長制に郷愁を感じる人々が政権を握り、1958年に「道徳の時間」を新設しました。(1957年に文部大臣が「民族意識や愛国心の高揚のために、道義に関する独立した教科を設けたい」と発言)
そして長い時を経て2006年に念願の教育基本法改悪。この時でさえ「道徳は教科化になじまない」とされ、教科化は見送られましたが、2018年に教科化が強行されました。

こうした歴史を知った上でなら、道徳の授業の中でも、やりようによっては人権について語ることができます。しかし「人権とは何か」について深く考えないまま、フワッとした道徳観で「人権を大切にしましょう」と言っても、本質に迫る授業はできません。

そもそも教育の目的って?

実際に「人権教育」を行うにあたって、人権作文を書いたり、文科省推薦のDVDを見たり、といった具体的な指示があるとやりやすいですよね。しかし教育をマニュアル化し、教師の創造性を奪ってしまうと、その授業は単なる作業となります。

本当は、私たちの教育活動はすべてが創造的であるべきです。そして創造的な教育活動は自ずと人権教育につながります。

教育基本法は1947年、つまり戦後すぐにできました。制定時の目的はザックリ言えば「教育の力で、もう2度と戦争しない国にする」というものです。

なぜ日本は戦争に突き進んでしまったのか? 

教育面からの反省として「個人を尊重しなかったこと」があげられます。個人の自由や創造性を抑圧し、国が決めた正解を上から押し付ける人権無視の教育が行われました。その際の軸となったのが「修身」です。

だから戦後は、戦争しない国にしていくために、個人を尊重し、人権を大切にする教育への転換が図られました。もちろん「修身」は廃止。授業も先生たちの創造性に期待し、国が教育に口出しすることは戒められました。国が教育を支配し、創造性を抑圧した結果があの戦争だったからです。

参考に、1947年の学習指導要領(試案)を抜粋します。

これまでの教育では、その内容を中央で決めると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様に当てはめていこうとした。だからどうしても画一的になって、教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。しかもそのようなやり方は、教育の現場で指導にあたる教師の立場を機械的なものにしてしまった、自分の創意や工夫の力を失わせ、ために教育に生き生きした動きを少なくするようなことになり、時には教師の考えを「あてがわれたことを型通りに教えておけばよい」といった気持ちに落としいれ、本当に生きた指導をしようとする心持ちを失わせるようなこともあったのである。

もちろん教育に一定の目標があることは事実である。また一つの骨組みに従って行くことを要求されていることも事実である。しかし、ただあてがわれた型のとおりにやるのでは、かえって目的を達するに遠くなるのである。型のとおりにやるのなら教師は機械にすぎない。そのために熱意が失われがちになるのは当然といわなければならない。

この書は、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。

1947年 学習指導要領(試案)序論より抜粋

マニュアルはいらない

日本では、戦後の逆コース以降、行政による教育への介入が強められ、自由や創造性を抑圧する教育に向かって行きました。そして体罰やブラック校則、教員の労働問題など、多くの人権侵害が生み出されました。

しかし昨今、世界は差別や人権侵害を許さない流れになってきています。さらに情報技術の発達で、多くの人が今まで当たり前と信じ込まされてきたことが、人権侵害だった事実に気づき始めました。

人権教育の推進は国連の方針であり、日本もそれを無視することはできません。だから学校でも人権教育を行っています。そして人権とは、個人の自由や創造性の上に築かれるものであるため、現場の先生たちの自由や創造性なしには行うことができません。一周回って、1947年の教育基本法や学習指導要領(試案)の理念に近づいてきました。

そう考えると、授業、特活、休み時間の子どもたちとの雑談など、いろいろな場面で各自の工夫によって色々な人権教育ができます。まさに教師自身の自由と創造性が期待されているのです。何だかワクワクしてきませんか?

ただしその時、「人権とは何か?」「学校教育の目的とは何か?」といった根本的な命題について考えていないと、「何すればいいんですか?」「マニュアルないですか?」となり、創造性を発揮すべき教師自身がマニュアルを求めてしまうという自己矛盾に陥ってしまいます。

自分自身が「子どもたちに、この人権問題について考えてほしい」と思うためには、「人権とは何か」について学び、深く考えることが必須です。そして、「この人権問題についての授業をしたい」と心から思うようになったときには、「マニュアルなんていらない、もっと自由にやりたい」と思うはずです。

長くなってしまったので、今回はここまでにします。

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