人権の歴史

奴隷主は奴隷が人権を求めることをワガママと感じる

「人権は大切」と言われると「それはそうだよなぁ」と、何となく思いますが、本質的に理解するためには歴史を振り返る必要があります。

例えば昔は奴隷制が合法でした。当然、人権などという概念そのものがありません。しかし現在では、「そのような人権侵害は許されない」という歴史的かつ世界的な合意がなされているため、奴隷制度は、法的には消滅しています。

今も事実上の奴隷は存在しており、世界で4000万人以上いると言われています。例えば日本の「外国人技能実習生制度」も海外からは現代の奴隷制と批判されています。

イギリス名誉革命・アメリカ独立革命(独立戦争)・フランス革命について、社会科の授業で勉強したと思います。

それまで一般市民は王や貴族の言いなりになるのが当たり前でしたが、これらの革命を通じて「人権」という概念が「発明」されました。このとき裕福な市民は人権を勝ち取りましたが、自分より弱い立場の人たちにも人権がある、とは思っていませんでした。

例えばアメリカでは世界初の成文憲法が作られ、「すべての人間は平等」と謳われましたが、長い間黒人奴隷の使用が合法でした。そして、奴隷制廃止後もずっと人種差別が続きました。

ジョージは心底怒っていた。マーサはいらだっていた。オーナには赤っ恥をかかされた。アメリカ国民は奴隷の逃亡があるたびに、奴隷は単なる財産ではなく人間なのだと気づく。たとえ大統領に仕え、いい服が着られても奴隷は奴隷だ。オーナは、マーサやワシントン家に仕えるより一秒でも早く逃亡することを選んだ。マーサは怒っていた。子どものように扱ってきたのに、逃げるなんて図々しいにもほどがある。親切にしてやったのだから感謝するのが当たり前ってものでしょ!

「私は大統領の奴隷だった」より抜粋

「奴隷に寛容」とされた奴隷主であっても、奴隷制が認められている現状が「当たり前」であり、奴隷が自由を求めることは「ワガママ」だと憤っています。

これは現代の人権侵害にも当てはまります。例えば同性婚に反対する人は、同性婚が認められない現状が「当たり前」であり、同性婚の権利を主張するのは「ワガママ」だと憤っています。ワガママなのはどちらでしょう?

対話と合意

キング牧師は「すべての人間は平等」と合衆国憲法に明記されているのに、「黒人の人権が認められないのはおかしい」と主張したことで弾圧されます。今でこそ「正しい主張である」と誰もが認めますが、当時は体制に歯向かう悪人とされ、逮捕もされました。しかしそれでも訴え続け、粘り強く対話を続け、「人種に関わらず、すべての人に人権がある」という合意を形成したのです。

最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。
マーティン・ルーサー・キング・Jr

「人権」とは、山や川のように自然にあるものではなく、人間が作り出した概念であり、互いの合意があって初めて成立するものです。「サピエンス全史」風に言えば「虚構」です。

紛争地帯に行って「私には人権があるから撃たれるはずがない」とは思いませんよね。そこに人権保障は存在しません。対話と合意がないからです。

ちなみに外国人技能実習生制度は、国連や米国国務省から人権侵害であると勧告を受けていますが、この件について国連と日本政府の間には合意がなく、日本国内では合法とされています。実態として、技能実習生は低賃金の労働力となっており、人権よりも経済が優先されています。

人権問題の解決には、粘り強く対話し、社会的な合意を形成していくことが必須です。黒人差別真っ盛りの時代に対話を続け、「差別は間違っている」という合意を形成していったキング牧師(もちろん一人だけの功績ではありませんが)は本当に偉大です。だからこそ、多くの人に尊敬されているのですね。

人権課題の解決に必要なもの

人権課題を解決するために「思いやり」や「やさしさ」は必要条件ですが、十分条件ではありません。例えば、アメリカの黒人差別に「かわいそう」という同情の念をもつだけでは事態は解決しません。なぜそのような不条理があるのか、歴史的な知識と深い思考をもつことが大切です。

合理的な理由なく、「かわいそう」という感情だけで人権問題を捉えると、自分自身の考えもブレてしまい、逆に差別をする側に回ることさえあります。(「差別はいけないけど、差別される方にも問題あるんじゃないの?」みたいな)

そして、知識は一部の人がもっていればいいわけではありません。例えば戦争中の日本で「戦争はいけない」という知識をもち声を上げた人は拷問され、殺されました。一部の人だけが真実を知っているだけでは大きな力に潰されてしまいます。

多くの人が自らの頭で考え、学び、対話して「こんな愚かなことはやめよう」という合意を形成していかなければ、戦争をなくすことはできません。人権課題を解決することはできません。

そして、それを子どもたちに伝えるのが人権教育です。

私たちの教育は、世の中の人権問題を解決していくことにつながっていきます。子どもたちに「思いやり」や「やさしさ」を伝えると同時に、「なぜその人権問題が起こっているのか」について自らの頭で考え、知識を探求していくよう促していく責務があります。ワクワクしますね♪

残念ながら、欧米と比べ日本はまだ人権後進国です。パワハラのニュースも後を絶ちません。

恥ずかしながら私も、後輩にパワハラ的に当たったことや、高圧的な態度で生徒を威圧したこともあります。そしてその時は、それが正義だと思っていました(パワハラしてる人は、自分がパワハラしてるとは思ってないものです)

人権教育について考えることは、教師自身の学びにもつながっていくと考えています。

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