足尾銅山に行ってきました

青年部企画。紅葉・温泉・学習ツアーに行ってきました。

行き先は足尾銅山。何となく知っているし、一度くらいは行ったことがある。でも考えてみると、「鉱毒事件があって、田中正造が…何したんだっけ?」というくらいの人が多いのではないでしょうか?

江戸時代の足尾銅山

足尾銅山の採掘が本格的に始まったのは1610年。ちなみに時の将軍は徳川秀忠。「あれ、家康って1603年に将軍になったのに、もう秀忠?」って思いませんか。なぜなのか調べてみると、授業で話す小ネタが増えます♪

足尾の銅は、現在のみどり市や太田市を通る銅(あかがね)街道を馬で運ばれました。そこから利根川の水運で江戸、さらには長崎に運ばれ、中国やオランダへも輸出されました。しかし江戸時代の末期には採掘量が激減し、ほとんど閉山状態となります。

ちなみに銅街道の終点、太田市の尾島地域は『徳川発祥の地』とよばれています。それは徳川家康の先祖が新田氏だからです。
「え、そうなの?」って思いますよね。真偽は微妙(限りなく偽?)ですが、「家康がなぜ自分を新田氏の子孫だと言ったのか」を調べてみると、また小ネタが増えます。

古河市兵衛

1877年に古河市兵衛が足尾銅山を買い取り、最新の掘削技術を用いて多くの鉱脈を発見。明治の殖産興業政策に乗って莫大な利益を上げ、古河財閥(現在も古河グループとして日本経済の中で大きな影響力をもっています。古河機械金属、古河電気工業、富士電機、富士通など)を形成します。今で言うと、ベンチャー企業の社長が勝負をかけて大規模投資で大当たりした、という感覚でしょうか。あの渋沢栄一とも親交が深かったようです。

市兵衛は陸奥宗光の息子潤吉を養子に迎え、2代目当主とします。潤吉は古河鉱業を設立し、副社長には原敬を迎えます。

3代目当主虎之助の妻は西郷従道(西郷隆盛の弟)の娘。歴史上の人物の名前がたくさん出てきますね。財閥と政府のつながりの強さを感じます。(ちなみに現在の当主は6代目の潤一氏)

足尾鉱毒事件

渡良瀬川の魚の大量死、山林の荒廃、農業被害。1885年、初めて銅山と公害を結びつける報道がなされ、1891年には田中正造が帝国議会で鉱業停止を要求します。しかし、富国強兵を進める政府にとって、足尾銅山が生み出す富はなくてはならないもの。貧しい農民の命と国家の利益、政府がどちらを選択したのかはご承知の通りです。

1895年、古河側は被害民に「永久示談」契約を持ち掛けます。鉱毒被害で困窮する人々に見舞金を渡し、「今後一切、孫子の代まで永久にこの件を蒸し返さない」という契約を結びます。「自分たちは加害者ではない」という主張なので、賠償金ではなく、見舞金です。

いくら窮状を訴えても、反対を唱えても、国会で追及しても変わらない現実に、農民たちは東京に大挙して、政治家に直接請願します。これを「押出し」と呼びます。4回目の押出しでは待ち伏せしていた警官隊との衝突となり、多くの逮捕者が出ます。これを川俣事件(現明和町)と呼びます。

田中正造

田中正造は現在の栃木県佐野市に生まれました。幕末は政治的要求を行って投獄され、明治に入ってからは自由民権運動に参加して逮捕されました(加波山事件、歴史の教科書にチラッと載ってますよね)。理不尽なことには黙っていられない、根っからの闘士です。

衆議院議員となり足尾鉱毒事件に取り組みます。しかしいくら事実を突きつけても、政府に「銅山操業停止」の選択肢はありません。結論ありきで政府が現状を正当化するのは、いつの時代も同じですね。

いくら追及しても動かない政府に業を煮やし、1901年 議員辞職。妻に離縁状を送り、殺される覚悟をして明治天皇への直訴を決行しました。(狂人とされ、即日釈放)

この時の直訴状、正造本人が書いたものではないってご存じでしたか。正造が「ぜひあなたに書いてほしい!」と頼み込んで、ある人物に書いてもらったものです。さて、その人物とは?(ちなみにこの人物も歴史の教科書に出てきます)

その後政府は鉱毒問題を治水の問題にすりかえます。「洪水が起こると農業被害が起こるから、谷中村を水に沈めて貯水池にしよう」という計画を立てたため、田中は谷中村に移り住み、抵抗を続けます。

1907年、政府は反対を続ける残留民家16戸を強制破壊します。しかし田中を含む残留民は仮小屋を作り、極貧生活を送りながら抵抗し続けます。
1913年、田中正造死去。
1917年、残留村民も抵抗を断念、戦いの終了。

その後、渡良瀬遊水地が作られ、鉱毒問題は有耶無耶にされました。

真の文明は 山を荒さず
川を荒さず 村を破らず
人を殺さざるべし
田中正造

ちなみに渡良瀬遊水地は空から見るとハート型になっています。その理由は「かわいいから」ではなく、そこにも住民の戦いがあったからです。「なぜハート型なのか」の歴史も調べてみてください。

大正・昭和…

銅山の操業は続き、当然 鉱毒被害も続きます。

大正デモクラシーの風潮の下、農民たちは鉱害を取り締まる要求を出しますが、日本は再び戦争に突入。、国策である銅の増産に協力しない者は「非国民」とされ、反対運動は下火になります。

終戦により、言論・集会への弾圧がなくなったことで「鉱害根絶同盟」が結成。特に毛里田村(現在の太田市毛里田)で鉱毒反対運動が盛んになりました。

1972年、板橋明治を代表とする農民971人が古河鉱業に賠償金に支払いを求め、そして1974年、とうとう古河側に責任を認めさせました。農民たちの勝利です。

1973年、採鉱停止。

1993年、政府は「環境白書」にて、当時の対策が不十分だったことを認めます。1885年に初めて報道されてから100年以上後の話です。そして今も鉱毒は沈殿したままです。

全群教組合員の家にあった、板橋明治からの感謝状。まさに戦いの歴史。スゴイ!

現地に行ってみよう

子どもの頃に行った場所に、大人になってから行ってみると、違う景色が見えてきます。

足尾銅山観光では蝋人形が鉱山での採掘の様子を再現しています。子どもの頃は「大変そうだなぁ」という程度の感想しかありませんでしたが、大人になってから見ると「実際はもっと悲惨だったはずだよな…」と想像できます。

江戸時代なら、鉱山労働者は完全に奴隷状態でしょう。明治以降もタコ部屋に押し込められ、奴隷同様の扱いをされた人たちがたくさんいたはずです。

暗く狭い坑道で1日中鉱石を掘り続け、生き埋めになって亡くなった人もたくさんいたでしょう。イジメや暴力で殺された人もたくさんいたでしょう。今のブラック企業がホワイトに見える働き方だったはずですが、展示に負の部分はなく、「不幸にも公害が起きてしまったが、古河市兵衛は被害軽減のために多大な努力をした」という説明がなされます。

古河市兵衛は鉱毒事件の加害者ですが、見方を変えて足尾の側から見ると、地元に雇用と繁栄をもたらした名士でもあります。お土産コーナーには「市兵衛まんじゅう」が売られていました。

だからこそ知ることが大事

だからこそ事実を知り、学び、次の世代に「どう伝えていくか」を考えることが大切です。「金持ちは悪、貧乏は正義」というような単純な二元論に陥らず、自分の頭で考えられる子どもたちを育てていきたいものです。

事実

①古河市兵衛は大きなリスクをとって、ビジネスを成功させた。
②莫大な富を築き、足尾に雇用と経済的繁栄をもたらした。
③財閥は政府と深く結びつき、富国強兵を推進した。
④貧しい人々の命より、財閥・国家の利益が優先された。
⑤多くの労働者が過酷な労働や、じん肺で亡くなった。
⑥中国人強制連行、強制労働によって多くの人が亡くなった。
⑦鉱毒や排煙の被害で、多くの人が亡くなり、村が滅んだ。
⑧永久示談契約を結び、金の力で批判を封じ込めた。等々。

現地に出かけてみると色々と刺激を受けます。「自分がもし鉱山労働者だったら…」「自分がもし鉱毒被害者だったら…」と思いをはせると、「授業で子どもたちに伝えたいなぁ」とアイディアが湧いてきます。「これって、原発や米軍基地の構図と一緒だよな…」と、新たな気づきも生まれます。

そして小難しいことばかりではなく、みんなでご飯を食べて、紅葉を見ながら温泉に入ってリラックスしてきました。とても有意義な時間になりました。これこそ本当の研修じゃないでしょうか?

職員室で夜遅く、指導要領や指導書とにらめっこしながら、「校内研修で、どんな授業すれば怒られないかなぁ」と悩んでいるばかりでは、「こんな授業がしたいなぁ」という前向きな発想は浮かんでこないですよね?

休日は休もう。なぜなら休日だから。

休日は休みましょう。そして時には遊びましょう。

今の学校は、まるで終わりのない長距離走を、常に全力疾走させられているような感じです。人間は全力で走れば視野が狭くなります。そして「本当にこのやり方でいいのかな」と考える時間も、人間的な幅を広げる時間的・精神的余裕も与えられないまま、誰かが決めた正解に向かって、また全力疾走させられます。

教育に絶対的な正解はありません。

常に全力疾走し続けるのではなく、「時にはゆっくり歩いたり、立ち止まって考えたりした方が良い教育ができる」と、私たちは考えています。
本当の教育とは、「誰かエライ人が決めたありがたい教育法を子どもたちに押し付けることではない」と、私たちは考えています。
教職員自身が教育について「もっと考えたり、本音で話し合ったりすることが必要だ」と、私たちは考えています。

全群教は、ゆとりをもって働ける労働環境を要求しています。誰かが決めた正解を押し付けないことを要求しています。そして教職員や子どもたちの人権が守られ、誰もが安心できる学校を作るために活動しています。

私たちは、仕事が嫌だから「仕事を減らせ」と言っているわけではありません。先生という仕事が好きだから、これからも誇りをもって働き続けたいから、おかしなことには「おかしい」と声を上げ続けています。

だからあなたも全群教に加入して、一緒に声を上げませんか?

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