阿呆に銭を貢いでも、阿呆は戦にしか使わん。

どうする家康

NHK大河ドラマ『どうする家康』
一向一揆を丁寧に描き、現代社会を皮肉っています。

歴史物のドラマでは、「エライ人」の理屈で物語が進むことが多いです。「誰が戦に勝利したか」というカッコイイ英雄譚として描かれ、戦に苦しめられた庶民は背景程度の扱いのことが多いですよね。

でもよく考えると、実際の社会では「エラくない人」の方が圧倒的に多く、「エライ人」の権力闘争や気まぐれで、高い年貢を取られたり、戦争に巻き込まれたりしていたわけです。誰が勝とうが、庶民にとっては「戦争をする」ということ自体が大迷惑なのです。

史実ではなく、ドラマをもとに考察します

一向宗は団結することで大きな力をもち、武士の言いなりにならずに年貢の支払いを拒否していました。しかし、家康は戦争のし過ぎで金がなくなり、一向宗の寺からも税を徴収しようとします。「この国は私のものだ。その私に税を支払うのは当たり前だ」ということです。これが大きな一揆を招きます。(そういえば、「税は国民から吸い上げたもの」とうっかり本音を言ってしまった総理大臣もいましたね)

本證寺の僧侶空誓は言います。

「小さな女の子が親に捨てられていた。酷い親じゃ。しかし、わしはこの子を捨てた親を憎む気にはならん。なんでこんなことをせにゃならんのじゃ。おまんまが食えんからじゃ。何で食えんだら? みんな一生懸命に働いとるだら? 戦ばっかりやっとる阿呆どものせいじゃ!」

そして、「なぜ国が困っているのに税を払わないのか」と問う家康に対して、「政(まつりごと)をしている連中が阿呆だからじゃ。阿呆に銭を貢いでも、阿呆は戦にしか使わん。死に金じゃ」と答えます。

これって正に現代の話だと思いませんか?

戦争にばかり金を使い、人々の生活を蔑ろにする政府。いくら一生懸命働いて税を納めても 無駄づかいばかりされていたら、いつまでたっても生活は楽になりません。

「国が困っているのに税を払わないなんてズルイ」という支配者の自己中心的な論理を一蹴する空誓の姿にも共感しました。重税でさんざん人々を苦しめておいて、「戦争のために金を出せ」なんて、まったく図々しい話です。現代社会に対するアンチテーゼであるようにも感じます。

もう一点、興味深い部分がありました。民衆も武士であり、武士も一向宗門徒であることを描いていた部分です。

当時は武士と農民の区別がはっきりしていたわけではなく、戦になると農民が駆り出されていました。そして戦場での略奪は、貧しい農民にとっては収入源でもあったわけですが、農民が空誓に「女子どもを斬ってしまいました」と懺悔するシーンが出てきます。戦争は、普通の人を略奪者に変えてしまうということです。(『もののけ姫』でも、戦での略奪場面がありましたね)

武士も一部の「エライ人」を除けば、大半は貧しい暮らしをしています。宗教に救いを求めて一向宗門徒になった人もたくさんいたわけです。そこで家康が一向宗との戦を始めてしまったので、家来たちも身を引き裂かれる思いで戦に臨むことになります。

どうするオレたち

私たちは教師であり、同時に一人の生活者でもあります。労働者であり、消費者であり、納税者でもあります。

政府が教育に金を使わないから、教師としての使命感だけで仕事をしてしまい、生活者としての自分がなりたたなくなってきています。結果的に、「教師を辞めるか、生活や健康を犠牲にするか」の二択をせまられる働き方が横行しています。「飢え死にするか、子どもを捨てるか」の二択をせまられた時代と、根本的な問題は変わっていません。

私たちは労働者として価値を生み出します。そして消費者として他者の生み出した価値と交換し合うことで、豊かな社会をつくることに貢献しています。そして市場経済では賄えないインフラ整備や、教育や福祉などの「儲からない分野」を賄うために、納税者として税を納めています。

その税を人々の生活のために使わず、戦争の準備や「エライ人」の利権ばかりに費やしていたら、教育や福祉がしぼみ、私たち「エラくない人」の生活が苦しくなっていくのは当然です。『どうする家康』の頃と同じ構図です。

誰もが豊かに幸せに暮らすためには
①戦争させないこと
②税を人々の生活のために使わせること
が大切です。

政府は放っておくと、戦争に向かって行きます。人々の生活のために税を使いません。そして異論を封じようとします。それは歴史が証明しています。

どうするオレたち?

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