校長? 学校長? 正しいのはどっち???

学校長あいさつ

地域によって差はあるようですが、校長のことを「学校長」とよぶ場合があります。

式典などの厳粛な場で、「学校長あいさつ」とあったり、学校の門扉につけた看板に「許可なく敷地内への立ち入りを禁ずる 学校長」と書いてあったりすることが多いようです。

校長と学校長、どちらが正しいのでしょうか?

普段は「校長」で、かしこまった場では「学校長」なんですね。
じゃあ、「学校長」が正式名称で、「校長」は通称かな?

第三十七条 小学校には、校長、教頭、教諭、養護教諭及び事務職員を置かなければならない。
※中学校、特別支援学校等はこの条文を準用。

学校教育法

学校教育法に「校長」はありますが、「学校長」はありません。つまり「校長」が正式名称であり、「学校長」は誤用です。「学校長」という名称は、法的にはこの世に存在すらしていません。

じゃあ何で「学校長」って言うの?

正確なところは分かりません。「何となくかしこまって聞こえて、正式な言葉のような気がする」というような理由で、誰かが使い始めたのだと思われます。

そして担当者が、例えば卒業式で「学校長」という言葉を使ったとします。すると、翌年は前年に習いますから、毎年「学校長」という言葉が使われるようになり、いつの間にか誤用の方が「正しい」空気になっていきます。このように学校では、法令より慣例の方が重視されがちです。

別にどっちでもいいじゃん!

細かいことは気にせず、どっちでもいいのでは?

ところが、そうとも言えません。

「学校長という言葉はこの世に存在しない」と先述しましたが、実は、かつては存在していました。明治時代の師範学校用の教科書の中に「官立学校は各々学校長一人之を管理す」とあります。

明治時代の校長といえば、天皇の代理人として教職員や子どもたちを統制する権力者です。「学校長」と言うと、何となく厳粛な感じがするのも当然なのかもしれません。この呼び方は、明治家父長制国家の残滓とも言えそうです。

だからこそ、戦後(1947年)に制定された学校教育法では、「学校長」という言葉は使われていません。戦前の教育の悪弊を断ち切り、二度と戦争しない国を作ることが戦後教育の出発点だからです。

「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と呼ぶのが相応しくないように、「校長」を「学校長」と呼ぶのも(おそらく)相応しくないのです。

明確なエビデンスを見つけたわけではなく、推測なので「おそらく」と表現しました。法制定時、明治の教育からの連続性を断ち切るため、意図的に「学校長」という言葉を廃したのだと思います。そして少なくとも現在、「学校長」が正式な名称でないことは、推測ではなく事実です。

知ることからはじめよう

ドイツと日本、どちらも第二次大戦の敗戦国ですが、戦後の政治、そして教育には大きな違いがあります。ドイツは、ナチスドイツを徹底的に否定します。一方日本は、戦前の支配層が政財界に復帰したため、大日本帝国を否定しません。

日本の教育では、「戦争はダメ」とは言いますが、戦争の原因となった大日本帝国の統治を断罪しません。これでは、戦争をまるで自然災害のように思ってしまいます。従軍慰安婦や南京大虐殺も断罪しません。近年は、政治家が公の場で教育勅語を称賛するなど、むしろ明治時代に回帰しようとさえしています。

「学校長」という言葉を使う人が、明治時代に戻そうと意識しているわけではないでしょう。でも、かしこまった場では、人はなんとなく権威性のある言葉を使った方がいいような気がしてしまいます。

フランスの思想家フーコーは「権力は上から行使されるものではなく、下から作り出されるものだ」と言います。例えば戦時中の日本では野球のストライクを「よし」、ボールを「だめ」などと言い換えました。これは政府が命じたわけではなく、人々が「そうした方がいいような気がして」、自発的にやっていたことです。そして誰かが始めたことが、同調圧力によって強制力をもっていきます。

身近な例をあげれば、指導主事訪問です。これだけ多忙で未配置も生じているのだから、本音を言えば「指導主事訪問は中止してほしい」という先生がほとんどではないでしょうか。でも形式としては、学校から教委に「来てください」と要請しています。実際の必要性からではなく、権威に対して「そうした方がいいような気がする」からですよね。全群教は、「せめて未配置の生じている学校の訪問はやめること」を要求しています。指導主事だって忙しいんだから、本音は「要請しないでほしい」と思ってるんじゃないでしょうか…

校長を「学校長」と呼んだからといって、日本が戦争するわけではありません。しかし、「法的に正しくない」ということと「戦争に至った負の歴史」を知らないと、無意識のうちに「権力に自発的に服従する空気」を作ることに加担してしまいます。やはりまず、「知る」ことが大切ですね。

【ついでの余談】
校長が体育館の壇上にのぼるとき、何もないところで礼をしますよね。あれも明治時代の名残りです。かつてはあの位置に天皇皇后の御真影や教育勅語を納めた奉安殿があり、そこに向かって礼をしていました。

ちなみに、関東大震災や空襲の際、御真影を守ろうとして殉職した校長の話が美談として語られていたそうです。命より天皇の写真が大切な時代。そんな時代に戻したくはないものです。

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