群馬教育ビジョン(2024~2028)について

群馬県教育ビジョン原案(群馬県教育委員会)

文書全体について

特活の重視、子どもの権利条約3条や12条に触れている点など、内容的には評価できる部分も多いです。

一方、「社会を変えられる子どもを育てる」と言いながら、教職員(組合)については意思決定の主体ととらえていません。教職員からは「現状を変える」という選択肢を奪っておいて、「社会を変えられる子どもを育てる」というのは何かの冗談でしょうか。

特別支援やヤングケアラーなど、現代の多様な問題への理解を求める記述があります。内容には、基本的には賛同できますが、それを実際にできる労働環境はありません。これだけ長時間過密労働なのに、一体どこにその余裕があるのでしょうか。(圧倒的にマンパワーが不足している中、群馬県は毎年約1億円ずつ教育予算を減らしています)

そもそも、この『群馬教育ビジョン』なる分厚い冊子を読む教職員がどれだけいるのでしょう。教育委員会が高邁な理想を語り、教職員に知ってほしいなら、この冊子を読み、議論する時間を保障するのが先ではないでしょうか。

※冊子の内容には評価できる部分もありますが、問題点もあります。

子どもたちを信じる(5ページ)

意見の相違や利害の対立を安易に回避したり、一方的に相手をやり込めたりするのではなく、互いの意見を尊重しながら、対話を重ね、お互いにとって、より良い道を探っていける姿勢を身に付けることが大切です。「和を重んじる」ことで、対話を避け、一方的な忍従を強いる場面も少なくありません。

非常によいことが書かれています。なぜ子どもに「一方的な忍従を強いる」教師が多いのかと言えば、教師自身が一方的な忍従を強いられている場合が多いことが一因です。教委や校長からの上意下達をやめ、民主的な学校運営を実現することが必要です。

子どもたちは、元々、自分で考え、友達と話し合い、決定して、行動する力を持っています。 今、私たち大人に必要なのは、子どもたち自身の力を信じることです。

非常によいことが書かれています。まずは、教委や校長が教師を信じることです。教師を信じず、管理すれば、教師も子どもたちを管理するようになります。

能動的な教育へ(13ページ)

教育のスタイルを「受動的な教育から能動的な教育へ」と変え、「上から下へ伝達するような一方的な教育から協調的な教育へ」と変化させるためには、教師が十分な訓練を受けるとともに、権限を与えられる必要があるとしています。

教師が「権限を与えられる必要がある」のはまさにその通りです。教委や校長が、個々の教師の教育内容まで管理しようとするのは重大な間違いです。一方、「十分な訓練」が何を意味するのかが問題です。マニュアル通りの「訓練」を押し付けられるのであれば、上意下達の構造が強化されるだけになります。

指導や指示をそのまま受け入れるのではない(14ページ)

「羅針盤」と表現することで、「生徒」は、教師の指導や指示をそのまま受け入れるのではないこと、自分の意志で未知の環境を歩む必要があること、責任意識をもって自らが進むべき方向を見出す必要性があること、を強調するとしています。ラーニング・コンパスが示す様々な資質・能力を手にした生徒は、目的意識を働かせ、自分自身の責任を果たし(=エージェンシーを発揮し)ながら、周囲の人々、事象、状況をより良くするために学び、個人や社会のウェルビーイングを目指して試行錯誤し、振り返りながら進んで行きます。

「教師の指導や指示をそのまま受け入れるのではない」というのはまさにその通りで、「教師が常に正しい」という押し付け教育は改めるべきです。一方、「自分自身の責任を果たし」という表現が気にかかります。学校は子どもたちが安心して「失敗できる場」でなければなりません。文言が独り歩きし、自己責任論を拡大させる危険性があります。

「子どもの権利条約」4つの原則(15ページ)

①命を守られ成長できること
②子どもにとって最もよいこと
③意見を表明し参加できること
④差別のないこと

教委が子どもの権利条約を明確に示したことは重要です。特に②③について、今までは現場で主張しても無視・軽視(ひどい校長の場合は否定・パワハラ)されてきました。学校で、日本国憲法や子どもの権利条約が重視されていない現状を本気で変えるべきです。

子どもは大人と対等な主体(16ページ)

子どもや若者を大人と対等な主体と位置付けること、教育等の政策における意思決定に関与させることは、世界的に共通した方向性であり、日本でも令和5年(2023 年)4月に施行されたこども基本法により、子ども政策への意思決定においては、子どもや若者の意見を聴取し、反映させることが義務づけられています。

非常に重要な指摘です。しかし、教育政策や部活等の労働問題の意思決定に関し、当事者である教職員(組合)に関与させていないのが日本の現状です。今の上意下達構造そのままで「子どもの意見を聞く」と言っても、「結論ありき」の形式的なものになるのは必然です。

新しいことを学ぶための時間を(17ページ)

教育委員会や学校は、教師が新しいものごとや、それらに対応するための知識や技能を身に付けるために必要な研鑽を積む機会を確保しなければなりません。このような観点から、研修内容の充実や受講しやすい体制づくりに加えて、「提言R5」を踏まえた子どもと向き合う時間の確保や、教員が新しいことを学ぶための時間、教員同士の学び合いの時間の確保等を進める必要があります。

そのためにもっとも必要なのは時間と裁量です。教師は「学びたい」と思っています。しかし無意味な事務仕事や研修を増やし、教師から学ぶ時間を奪って、授業のやり方までマニュアル化しているのは誰なのでしょう。私たちは「無駄な押し付け仕事をなくし、時間と裁量を保障せよ」と要求しています。教委主体の研修は「マニュアルが必要なもの(例:エピペンの使い方、法律に則った保護者対応等)」に限り、教育内容に関しては「自己研鑽の時間を保障すること」「教授の自由を保障すること」こそが大事です。

道徳教育の充実(20ページ)

特別教科化が先行した道徳教育の充実や体験活動の重視、体育・健康に関する指導の充実により、豊かな心や健やかな体を育成すること。

道徳では答えのない問いについて「考え、議論する」と言いながら、学校現場では、指導要領に沿わないことを子どもが言ったら、その答えを変えさせることが日常的に行われています。道徳教科化の議論が始まったころから授業内容への監視が強まりました。教師を監視、管理するのではなく、信じ、任せることこそが必要です。そもそも『道徳教科化』が根本的な間違いです。

多様な背景をもつ児童生徒への生徒指導(21ページ)

例えば、「性的マイノリティ」に関する課題と対応や、「多様な背景を持つ児童生徒への生徒指導」として、「発達障害に関する理解と対応」、「精神疾患に関する理解と対応」、「健康課題に関する理解と対応」、「支援を要する家庭状況」が加えられています。生徒指導の主役は子どもであり、教職員は児童生徒の成長・発達を支持するサポート役です。生徒指導は、一人一人の良さを認め、その可能性を広げていくことを目的としていることを忘れてはいけません。

非常に重要な指摘であり、反対する理由はありません。このようなことに多くの教師は非常に関心をもっており、子どもたちを守りたいと思っています。しかし日々の業務に追われる中、教師に学ぶ時間がありません。とりわけ部活の負担が大き過ぎます。部活顧問をやる・やらないの選択権すら保障せず、仕事だけ増やすのは無責任です。

体力向上(21ページ)

群馬県の児童生徒の体力は、令和4年度全国体力・運動能力、運動習慣調査の結果では、小・中学校の男女ともに全国平均を上回る結果となっています。また、小・中学校ともに、体育・保健体育の授業以外で、体力・運動能力の向上に係る取組を行った学校数も全国平均を上回りました。

全国平均を上回っているのは「小1から中3まで新体力テストを悉皆でやらせているから」です。毎年同じ種目を練習させているのだから、小5と中2の全国調査で数字が伸びるのは当然です。(他県でも悉皆で行っているところも多く、無駄な競争を煽っています。子どものためではなく、順位を気にする大人たちのためのものです)
教育で大切にすべきは、「体力テストの数字」を上げることよりも「運動の楽しさ」を伝えることです。全国平均を上回るための悉皆実施は今すぐやめ、「群馬県は数字の競争ではなく、子どものための教育を重視する」と宣言していただきたい。

多様な子どもたちへの対応(22ページ)

特別支援教育、外国人児童生徒、不登校児童生徒(ヤングケアラー・児童虐待等)

これらの指摘も重要であり、反対する理由はありません。しかし前述の通り、教師に時間と裁量を保障しない状態で「あれもやれ、これもやれ」と仕事を増やすことは現場のストレスを増大させます。

非認知能力育成(23ページ)

従来の教育で重視されてきた認知能力だけでなく、いわゆる非認知能力や社会情動的スキルなどを教育の立場から重視していくことは、世界的な流れでもあります。

数字で測れない部分を大切にし、育てていくことについて反対する理由はありません。しかし、それは今までの学校教育の中でも大切にしてきたことであり、全国学テや新体力テストの悉皆実施などで、そういった現場の努力を潰してきたのは行政側です。現場の教師が大切にしている教育を実践するための時間と裁量を保障することこそが大切です。

インクルーシブ教育(23ページ)

世界に目を向けると、障害のある子どもと障害のない子ども、他国から移住してきた子どもと地元の子どもたちが、お互いに多様性を認め合い、共に学ぶ、インクルーシブな教育を、一人一人の教育的なニーズにしっかりと対応しながら実施している国や地域があります。

北欧の先進的な事例に学ぶことは重要ですが、日本の場合、それに見合った数の教員数が配置されていません。支援できるだけの人員がいないのに、普通学級に入れれば、その子どもの学ぶ権利は保障できなくなります。インクルーシブの理念は大切ですが、現場の環境を整えないまま、形だけ導入することには反対です。そもそも日本では、北欧の事例の外形だけを真似ようとします。必要な予算はつけず、北欧で大切にされている教師や子どもたちの自主性は抑えようとします。外形ではなく理念を真似て、そのための予算をつけていただきたい。

公立学校教職員の状況(23ページ)

いわゆる「ブラック職場である」というイメージが、世間に定着したこともあり、近年の公立学校教員の志望者数は減少しています。

イメージではなく、労働環境の悪さは事実です。教員の仕事は魅力的であり、労働基準法や限定4項目が守られ、教師の人権が守られれば、自ずと志望者は増えます。『違法な労働環境』という根本矛盾を見ずに、小手先の「働き方改革」を進めても本質は変わりません。「イメージ」のせいにすべきではありません。

自分ひとりだけの幸せでなく(26ページ)

自分ひとりだけの幸せでなく、周りのみんなも同じように幸せであってほしい――そう思えるような素直な心であることを望みたい。それが、この群馬県教育ビジョンにおける最上位計画の根っこにあるものです。

『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』という宮沢賢治の言葉を思い出します。それ自体は否定しませんが、日本の教育の問題は「やさしさ」と「思いやり」で解決しようとしているところです。今でも多くの個人はやさしく、思いやりをもっています。しかし日本では、いまだに「努力すれば成功する。貧困は怠惰のせい」という通俗道徳が根強い影響力をもっています(生活保護バッシングや、富裕層に増税すべきではない、という自己責任論もここから出てきます)。やさしさ、思いやりという心の持ちようだけでなく、知識としての「人権」について学ぶことこそが大切です。

エージェンシー(27ページ)

群馬県では「エージェンシー」を次のように整理しました。
①自分と他者を尊重した上で、課題を自分事化し、自ら考え、判断して責任ある行動をとろうとする意志の力 ②多様な価値観の中で、創造的な対話を行おうとする意志の力。群馬県では、「エージェンシー」を、「学習者」が行動を起こそうとする意志、「コンピテンシー」を、行動を起こすために必要な能力や力、と大きく定義しています。

OECDの議論を基にしていると思われますが、「責任」「能力」「力」がやけに強調されていることが気にかかります。「できないのは自己責任」という通俗道徳を強めることが考えられます。「エージェンシー」や「コンピテンシー」というわかりにくい言葉をわざわざ使う必要性は感じません。

個人の尊重(29ページ)

「調和と協調」の美名の下、個人のエージェンシーを阻害することがないように、「個人」が尊重される「健全な集団」であることを前提として、「集団」との関わりによって社会の構成員・形成者としての自覚を持ち、社会課題の自分事化につなげることができれば、「社会をより良くする」ための意識と行動(=エージェンシー)へつながるものと考えます。

「個人の尊重」について、教委が強調するのはよいことです。「調和と協調」の美名の下、教育委員会や校長が教師個人のエージェンシーを阻害することがないようにしていただきたい。

遊びをつくる(30ページ)

「学びをつくる」ことの原点は、幼児教育における「遊びをつくる」ことです。幼児たちは、自分の気持ちに従い、遊びを見つけ、工夫し、楽しみます。自発的な「遊び」は、好奇心や探究心などを育む学びの基礎となります。

非常によいことが書かれています。日本の学校教育では「遊び」は不真面目とされてきましたが、「遊びこそが学びの原点」という視点を、教委からどんどん発信すべきです。そのためにまず、指導要領に合わせるための研修はやめ、「教委は教育内容に口出しせず、教師個人を信じて任せる」ことから始めるとよいのではないでしょうか。

結果に対して責任を負う(30ページ)

自分事としてものごとを考える前提には、自ら主体的に考え、自分の意思で判断して、行動できることが必要です。それはまた、結果に対して責任を負うことでもあります。自分で考え、決断し、行動し、結果の責任を負うことは、裏を返せば、それこそが自由です。

「責任」の強調が気になります。「自由には責任が伴うのだから、勝手なことをするなら覚悟しておけ」という脅しに見えます。

人の力を借りる力(32ページ)

「対話と交流により信頼関係を築く」ことには、「人の力を借りる力」、「周りとつながる力」、「周りに助けを求められるし、ときには周りを助けられる力」や「SOS を発信できること」「自分を周りに知ってもらおうとすることができること」という要素も含まれます。

日本では「他人に迷惑をかけてはいけない」という道徳観が根強くあり、「助けを求めること」が恥という文化があります。生活保護バッシングがよい例です。この「助けを求める力」を強調していることはとても大切です。それだけに、前段の「自己責任論」との矛盾が際立ちます。

子どもたちの力を信頼(33ページ)

保護者や教師といった大人による一方的な保護や監督の下にあり続けることは、子どもたちが元々持っている力や意志を弱めてしまう恐れがあります。むしろ、子どもたちの力を信頼し、任せることで、子どもたちの自律性を高め、主体的に責任ある行動をとれる力を身に付けることにつながります。

重要な指摘です。まずは教委自身が教職員を信頼し、任せ、自律性を高めてください。

アンコンシャス・バイアス(36ページ)

ジェンダーに代表される無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)の解消に向けた取組も大切です。教育は、古くから根付いた差別を解消するための仕組みにも、逆に再生産する仕組みにもなりうるものです。今後も継続すると見込まれる人口減少社会において、男女共同参画の推進は、これまで以上に不可欠なものとなります。

アンコンシャス・バイアスに関する認識を広めていくことは重要です。ぜひ「男女共同参画」という分かりにくい言葉ではなく、「男女平等」という言葉を使っていただきたい。
※日本の行政は「男女平等」という言葉を使いたがりません。

自分の行動が社会を変えることができる(36ページ)

「主体的に社会の形成に参画する態度の育成」では、「自分の行動が社会を変えることができる」という考えを持ち、実際に行動できる態度を育成する取組を推進します。子どもの意見表明に係る場の創設や子どもが主体的に取り組む活動の推進、主権者教育の推進などです。

重要な指摘です。しかし、まずは教職員自身が「自分の行動が社会を変えることができる」という考えを持つべきです。教師が「変えられる」と思っていないのに、子どもたちに「変えられる」と教えることはできません。

働き方向上?(37ページ)

教職員の多忙化解消、ワーク・ライフ・バランスの向上を含む「働き方改革」と併せて、教職員の「やりがい」や「意欲」の向上、教職の魅力向上のための施策を推進します。また、計画策定の時点では、「働き方改革」が適当な状況ではありますが、計画期間満了後に目指す姿として「働き方向上」としました。学校業務及び行事等の見直しの推進、研修等を通じた教職員のスキルアップやキャリア支援の充実など、働き方改革だけでなく、教職の魅力を向上させる取組も進めていきます。

必要なのは「働き方改革」でも「働き方向上」でもなく、「働き方の正常化」です。労基法や限定4項目を順守すれば、異常な長時間労働など発生する余地はありません。一丁目一番地は部活顧問強制の禁止。魅力の向上ではなく、違法労働の根絶こそが必要です。

キャリアパスポート(44ページ)

生徒一人一人のキャリア発達を踏まえ、「キャリア・パスポート」を有効活用しながらキャリアカウンセリングを充実させるなど、個別の支援の充実を図ります。

「キャリア・パスポート」こそ不要です。誰かエライ人が「有効だろう」と思いついて始めたのは仕方ないとしても、実際にやってみて「最大の無駄であり、負担である」ことが明らかなのだから、今すぐやめるべきです。いい加減、「エライ人が言ったことは正しい」という前提をやめてほしい。

特別活動の充実(50ページ)

児童生徒自身が日々の生活の中で課題を発見し、その課題について話し合い、合意形成や意思決定を行っていくことは、児童生徒がよりよい学校生活を送るために大変重要であり、学校における意見表明の機会としての特別活動(ホームルーム活動、生徒会活動、学校行事)の充実等が求められています。

非常に重要な指摘です。戦後日本の教育の中でもっとも重要視されたのが特別活動です。児童生徒自身が話し合い、合意形成や意思決定を行っていくことはまさに民主主義の基本だからです。特別活動の重要性を教委からどんどん発信すべきであり、教師自身もその大切さを学び直すべきです。

意見を聞く機会(51ページ)

教育をはじめとする子どもに関わる計画等の策定に当たり、当事者である子どもや若者から意見を聞く機会を積極的に設け、意見を計画等に反映していきます。

賛成です。子どもの権利条約12条の大切さを教委からどんどん発信していただきたい。

まとめ

特活の重視等、文書全体の中には評価できる部分も多いと感じます。特に「子どもの権利条約」3条や12条の内容について触れている点はとてもよいと思います。

しかし、教職員(組合)を意思決定の主体とはとらえていないこと(あるいは存在そのものを無視していること)が一番の問題です。教職員の人権が守られない状況で、子どもたちの人権は守れません。

また「子どもたちの意見を聞き、反映させる」といっても、教委が決めた範囲の中でのみ子どもたちにも意見を言わせ、その枠からはみ出すことは許さない、ということが考えられます。

例えば「制服をジェンダーに配慮したものにする」という教委・校長の決めた結論ありきで生徒総会を開き、「子どもたちの意見を聞いた」という事実を作って実行する、といったことです。これ自体は問題ありませんが、その議論の過程で「髪型の規制を緩めたい」と生徒が言ったとしても議論の俎上に乗せない、あるいはそもそも意見を言えない雰囲気を作る、ということが現実としてあります。これでは、生徒が意思決定の主体になっているとはいえません。

そして、特別支援やヤングケアラーの問題など、内容としては賛同できますが、それを実際にできる労働環境がありません。部活顧問強制すらやめないのに、やることだけ増やせば、現場はますます疲弊します。労働法を守っていないのに、「ブラック職場というイメージ」などと言っている時点で、問題解消は期待できません。

そもそも「日本国憲法と子どもの権利条約を最大限尊重する」「教育内容については、現場の先生たちを信じ、任せる」とするだけでいいのです。こんな大仰な文書自体が不要です。

とはいえ、部分的には良い事を言っているところもあるので、校長交渉などで活用することはできると思います。いずれにせよ、この教育ビジョンを読む人はほとんどいないはずです。群馬の教育をよりよくしていくためには現場の教職員自身が声をあげ、行動することが必要です。

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