ブルシットジョブ
『ブルシットジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』という本があります。
1930年、イギリスの経済学者ケインズは「20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう」と予測しました。
かつて人間は1日の大半を、食料を得るための仕事をしなければなりませんでした。現在のテクノロジーがあれば、AIに任せられる仕事は任せ、人間の労働時間は大幅に短縮されていても不思議ではありません。
しかし実際は、何だかよく分からないうちに、むしろ労働時間は増えていきました。学校にパソコンが導入されたときも(若い人は、パソコンのない職員室なんて想像もつきませんよね)、仕事が効率化されると思いきや、実際はパソコン導入前より忙しくなりました。
現代社会では、提出後すぐに保管されて二度と見られることのない書類をひたすら書く「仕事のための仕事」や、「仕事のための仕事をきちんとやっているかを管理するための仕事」などが果てしなく増殖していきます。
このような本来不要な、いやむしろない方がいいような仕事のことを著者のデヴィッド・グレーバーはBullshit Jobs(クソどうでもいい仕事)と名付けました。具体的な例は挙げませんが、学校でも思い当たる仕事がありますよね???
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
『ブルシットジョブ』デヴィッド・グレーバー
結果的に、教員が本来もっとも力を注ぐべき「目の前の子どもたちのためによい授業をすること」について考えたり、「子どもたちのための本当の教育とは何か」について考え、同僚同士で議論することがなくなっていきます。
代わりに、「こうすることが正解です」というマニュアルが上から降りてきて、その通りに行動しているか管理されます。「同僚同士で議論をしてください」というマニュアルが降りてきて、建前の議論によって時間を消費します。そして、マニュアルを実行した証明として、また書類を書かされます。
これだけでも十分ブルシットですが…
更に、その書類は「マニュアル通りやりました」と書かなければ書き直しをさせられるので、実際にやったかどうかどうかは関係なく、「マニュアル通りにやったらこんな成果がありました」という謎の書類が大量生産され、二度と日の目を見ることはありません。
教育委員会や校長も、悪気があって「あれもやれ、これもやれ」と言っているわけではないでしょう。でも時には教職員自身が「あれもこれもやっていたら、肝心の子どもたちのための仕事ができなくなります」と声を上げることも大切です。私たちは教育のプロなのですから。
「おかしい…」と思っても、「仕方ない」とあきらめて、何も異論を唱えない方が楽かもしれません。自分の意見は言わず、上から言われた通りに振る舞っていれば怒られることもありません。でも、本当の自分は「もっと子どもたちのためになる仕事がしたい」と考えているのではないでしょうか?
「自分が本当にやりたいと思っていた教師の仕事とは、何か違う気がするんだよなぁ…」という方は、ぜひ全群教に加入してください。「本当の教育ってどんなことだろう?」という、本音の議論を、本気で行いましょう。