吉良も小栗も上野介!?
西川圭一(元高崎市教組)
「風土記」 そういえば、教科書にありましたね!
「風土記」という名前を聞いて何を想像しますか?
21世紀・令和の時代になってもNHKでは、松たか子さんの美しい声でおなじみの「新日本風土記」という番組が放送されています。日本列島は小さいけれど南北に長く広い国、私たちの知らない風土、生活、文化、人々の営みがあるのですね。(私は、4Kでよみがえった「新日本紀行」がたまらなく好きです。特にあの音楽が・・・)
本家の「風土記」は、713年(和銅6年)奈良時代元明天皇の時、当時の「ひのもとのくに/日本」の各国に編纂を命じてできたものでした。現在残るのは、出雲国(ほぼ完本)・常陸国・播磨国・肥前国・豊後国のわずかに5ヵ国のみ。当時の支配者の立場に立ってみると思いの外広がった支配地域について、行ったこともない見たこともない人々の生活や山野のことを隅々まで知っておきたくなるのも当然かも知れません。
いにしえの群馬は大都会!?
それぞれにまちまちであった国の名を2文字に統一し、国印を授け、名産品を届け出させました。927年の延喜式によれば、その国の数は68でした。そして、それには二通りのランクがつけられました。まず、都からの距離をもって4段階に。
「畿内」5ヵ国、「近国」17ヵ国、「中国」16ヵ国、「遠国」30ヵ国。さらに、その国力によった分類で4段階。「大国」13ヵ国、「上国」35ヵ国、「中国」11ヵ国、「下国」9ヵ国です。
さて、わが「上野国」はというと当然のことながら「遠国」30ヵ国の中の一つ。遠いことは間違いありません。そして、国力では?なんと最上級の「大国」13ヵ国の一つだったのです。さらに、826年桓武天皇の皇子・皇女が多かったことからその大国の内の3ヵ国を「国司」ではなく「親王」に与える(親王任国)としました。その3ヵ国とは、上総国・常陸国そして上野国だったのです。
つまり、上野国は全国ランキング13位以内で、さらに東国の雄としての「ベスト3」に入っていたのです。箱根駅伝なら即シード権確定です。山本知事は、都道府県人気度ランキング44位がお気に召さないようですが、古く「上野国」はそれほど重要な地位をしめていたのです。
なぜ、吉良も小栗も上野介???
これら68の国にはそれまでの土着の豪族がつとめた「国造(くにのみやつこ)」に代わって「国司」と呼ばれる官吏が中央から派遣されましたが、その国司にもランクがあり、上から「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」の四等官(しとうかん)が定められていました。
時代が下り武士の時代となり国司が有名無実化しても各大名は名誉称号としての国司を名乗りたがりました。テレビでおなじみの「大岡越前守忠相」をご存じでしょう。8代将軍徳川吉宗の享保の改革を支えた方です。近頃は、加藤剛さんではなく東山紀之さんが演じてますがかっこいいですね。「越前国」(ほぼ今の福井県)も「大国」でしたがその「守(かみ)」を名乗ったわけです。
ところが皆さんよくご存じの「吉良」も「小栗」も「上野介(こうずけのすけ)」止まりで 「守」を名乗りませんでした。これは先ほど書きましたとおり、上野国は親王に与えた国ですので国司に「守」を名乗らせるわけにはいかなかったのです。親王は皇族ですから「太守」を与えられても都を離れるはずもなく、実際は次官級の「介」が治めました。これを「遙任(ようにん)」と言います。ですから歴史上も「上野守(こうずけのかみ)」は存在せず、「上野介」が最上位(今の県知事)というのが江戸時代になっても慣例として続いていましたとさ。