中教審答申(案)の再考を求める声明
2024年7月30日、全群馬教職員組合、群馬県高等学校教職員組合、群馬大学教職員組合の連名で声明を発表し、県庁刀水クラブにおいて記者会見を行いました。
中教審答申(案)の問題点
結論から言えばすべてが問題点であり、日本の公教育の崩壊を加速させるものでしかありません。
すべてをあげるとキリがないので、1つだけ指摘します。
「定額働かせ放題」と揶揄される長時間過密労働による教員の疲弊(最悪の事例が過労死)が最大の問題なのに、教職調整額の話にすり替え、長時間過密労働はそのまま放置しています。この答申が出されることで、むしろ「教職調整額を引き上げたのだから、不平を言わずに働け」という圧力が強まることが予想されます。教師の過労死を促進するつもりでしょうか。
群馬から声をあげる意味
「国の問題なのに、地方から声をあげても意味がないのでは?」と思う方もいるかもしれません。
当然、国レベルでは、全群教も加盟している全教(全日本教職員組合)が繰り返し声をあげています。それで中教審が反省して、「ごめんなさい。私たちが間違っていました。現場の先生たちの声を聞くことが大切ですよね」と方針を転換するなら、わざわざ苦労して声をあげる必要はありません。
しかし、反省どころか「パブリックコメント(=国民の声)は誤解に基づく批判が多い」と言う委員もいる始末。現場の教職員の声を一切聞かずに作った答申案を、現場で働いている私たちがじっくり読んだ上で「これはおかしい」と声をあげているのに、「それはあなたたちが誤解しているだけです」で済ませる態度はあまりにも不誠実です。
多くの市民が怒っていることをきちんと示すことが必要です。沈黙は賛同と同じです。
そもそも今回の答申(案)は、2023年5月16日に自民党特命委員会が出した「令和の教育人材確保プラン(提言)」に酷似しています。最初からこうなることが決まっていたのに、1年かけて話し合っているフリをしていたようにしか見えません。更に言えば、正式に答申が出される前に、骨太方針2024に組み込まれ、閣議決定されています。諮問制度の意義を政府自身が否定しているようなものです。
「国が決めたことだから仕方ない」と諦めるのではなく、市民自身が声をあげていくことが表現の自由であり、民主主義です。教育政策の問題は一般の人には分かりにくい内容であり、センセーショナルなニュースにもなりにくいものですが、教員が疲弊し、教育が崩壊していくことは日本の未来の危機でもあります。
だから私たちは声をあげ続けます。全教に集う仲間たちが全国で声をあげています。全群教も6月9日には高崎駅前で街頭宣伝を行いました。
私たちは民主主義を諦めない。