ブカツの疑問②

部活の法的位置づけ

生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,学校や地域の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行い,持続可能な運営体制が整えられるようにするものとする。

中学校学習指導要領(平成29年告示)

実は、部活に関する法的根拠はこれだけです。

「自主的,自発的な参加」だけど「学校教育の一環」
「教育課程外」だけど「教育課程との関連が図られるよう…」
ちょっと何言ってるか分からないです┐(´д`)┌

さらに言えば、指導要領は告示であり、法律ではありません。「法的効力をもつ」と解釈されているに過ぎません。(これには歴史的経緯、政治的背景があります)
さらに、さらに言えば、指導要領解説にいたっては何の法的根拠もありません。これについては学習指導要領の歴史を語る必要があるので、また別の機会に。

それはともかく、(曖昧に書かれていますが)指導要領を読むと、部活動は「生徒の自主的、自発的な活動として、設置してもよい」ものであり、「設置しなければならないもの」ではありません。

教員が部活の辛さを口にすると、「生徒のことを思っていない」と言われそうで躊躇してしまいますね。「教師たるもの部活をやるのは当たり前」「部活指導ができてこそ、授業も生活指導もうまくいく」とか、中には「部活が嫌なら教員やめた方がいいよ」と言う人もいます。

でも、冷静に考えてみると不思議です。教科を教えるための大学教育を受け、教科の専門家として採用されたのに、教育課程外、しかも勤務時間外の課外活動なのに、「部活ができません」と口にできない労働環境…。
実際に「部活が辛いから」という理由で教職を去っていった人もたくさんいますし、最近は「先生になりたいけど、勤務時間後や休日に部活で縛られるのは…」と、教員になること自体を敬遠する若者も増えています。

部活の問題は、
部活推進派 VS 部活反対派
といった二元論に陥らないように、冷静に議論していく必要があります。
感情的な対立で解決するくらいなら、とっくに解決していますもんね。

まず、
①教員の労働問題 と
②生徒の人権問題 を分けて考えましょう。

①教員の労働問題という観点で見れば、結論はハッキリしています。
校長は教職員に、勤務時間外の労働を命じることはできません。
法的には、「校長は顧問をお願いしているだけであり、実際の活動は教職員が自発的に行っている」ことになっています。
控えめに言って異常な労働形態です。しかし何十年も「教員が部活顧問をやるのが当たり前」という慣習が続いてきたため、この異常な労働形態が常態化してしまっています。

この点について全群教は強く抗議し、毎年、県教委と交渉を重ねています。
交渉の詳細については、組合員のページで報告します。

②生徒の人権問題という観点で見たとき、難しい問題を抱えます。

「生徒には部活をする権利がある」→わかる
「だから学校は、生徒たちが部活をできる環境を保障すべきである」→まぁ、わかる
「しかし、人を雇う予算はないから教員が顧問をするしかない」→おかしい
「部活をやらない教師は生徒の権利を奪うことになる」→(゚Д゚;)

こうして文章化してみると、「そんなバカな!?」という気がしますが、実態はこうなっています。文科省が「部活は必ずしも教師が担う必要はない」と通知を出しても現実は変わりません。(通知を出したこと自体は評価できますし、半歩前進しているとは思います)

また、「生徒のために」という美しい言葉で教師の人権を蔑ろにしている現状が、本当に「生徒のため」になっているかの議論も必要だと思います。
部活と、生徒の人権問題についての考察は、次の機会に。

全群教は、部活顧問の強制に反対しています。
懸命に部活指導をしている先生方を批判する意図はありません。
部活推進派 vs 部活反対派 といった感情的な対立にせず、
部活問題を解決に近づける努力をしていきたいと考えています。

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