僕たちはマトリックスの中にいるのかもしれない

※若干の映画ネタバレを含みます

マトリックスから抜け出そう

「マトリックス」という映画をご存じですか?
1999年に公開され、スローモーションで銃弾をよけるアクションが大ブームを引き起こしました。当時の子どもたちは映画の内容も知らぬまま、キアヌ・リーブスの銃弾避けシーンを真似したものです。

昔は単なるアクション映画だと思っていましたが、年を取ってから見ると、実はとても深い話だったことが分かります。簡単に言うと、「人間は自分の意思で動き、生活していると思っているけれど、実はAIによって作られた仮想現実の中で 生かされている に過ぎない。実態は家畜のような存在としてエネルギーを搾取されていおり、それに気づいた主人公らが、支配と搾取の頸木(くびき)から逃れるために戦う物語」です。

非常に示唆的ですね。
「マトリックス」は現代社会へのアンチテーゼです。
※映画の解釈は人それぞれなので、あくまで一意見です。

今の人生は、本当にあなたの意思で選んだものなのか?
「自分で選んだ」と思わされているだけだとしたら?
自分ではハッキリと認識していないけれど、目の前の衣食住や見せかけの平和と引き換えに、自由や権利、人間としての尊厳を搾取されているのでは?

パワハラ、過労死、長時間労働…
「働けるだけありがたい」
「給料もらってるんだから、理不尽なことでも文句は言えない」
「仕事の最優先事項は、上の人から怒られないこと」
こんな働き方って、本当に自分の意思で選んだものではないですよね。仕事の中で、人間として本当に大切なものを奪われているのだとしたら、それは尊厳ある生き方とは言えません。

「この仕事、ゼッタイ意味ない…」と思いながらやらされる、仕事のための仕事。
「本当はもっといい授業がしたいのに…」と思いながら、日々の雑務に忙殺され、なおざりになってしまう授業。
脱法的に行われている長時間労働によって、なくなっていく自分や家族のための時間。

この働き方を「仕方ない」と思ってしまうのは、「マトリックスの中にいるからなのかも…」と、映画を見ながら思いました。

「仕事のための仕事をなくすよう要求する」
「怒られないためではなく、子どもたちのための仕事をする」
「早く帰って、自分や家族の時間を大切にする」
そんな働き方にしていくために、一緒にマトリックスから抜け出しませんか?

ブルシットジョブ

『ブルシットジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』という本があります。1930年、イギリスの経済学者ケインズは「20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう」と予測しました。

かつて人間は1日の大半を、食料を得るために働かねばなりませんでした。現在のテクノロジーがあれば、AIに任せられる仕事は任せ、人間の労働時間は大幅に短縮されていても不思議ではありません。しかし実際は、何だかよく分からないうちに、むしろ労働時間は増えていきました。学校にパソコンが導入されたときも(若い人は、パソコンのない職員室なんて想像もつきませんよね)、仕事が効率化されると思いきや、実際はパソコン導入前より忙しくなりました。

現代社会では、提出後すぐに保管されて二度と見られることのない書類をひたすら書く「仕事のための仕事」や、「仕事のための仕事をきちんとやっているかを管理するための仕事」などが果てしなく増殖していきます。
このような本来不要な、いやむしろない方がいいような仕事のことを著者のデヴィッド・グレーバーはBullshit Jobs(クソどうでもいい仕事)と名付けました。具体的な例は挙げませんが、学校でも思い当たる仕事があると思います。

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

『ブルシットジョブ』デヴィッド・グレーバー

結果的に、教員が本来もっとも力を注ぐべき「目の前の子どもたちのためによい授業をすること」について考えたり、「子どもたちの人格の完成のために何をすべきか」について考え、議論する時間はなくなっていきます。

代わりに、「こうすることが正解です」というマニュアルが上から降りてきて、その通りに行動しているか管理されます。そしてマニュアルを実行した証明として、また書類を書かされます。
その書類には「マニュアル通りやりました」と書かなければ書き直させられるので、実際にやったかどうかどうかは関係なく、「マニュアル通りにやったらこんな成果がありました」という無意味な書類が大量生産されます。

「仕方ない」とあきらめて、何も異論を唱えない方が楽かもしれません。「おかしい」と思っても自分の意見は言わず、上から言われた通りに振る舞っていれば怒られることもありません。でも、本当の自分は「もっと子どもたちのためになる仕事がしたい」と考えているのではないでしょうか?

マトリックス レザレクションズ

2021年12月、約20年ぶりに「マトリックス」の続編が公開されました。
若干ネタバレになってしまうので、知りたくない方は飛ばしてください😅

『マトリックス』三部作には、社会は偽物であり、自分の選択によって“現実”を生きることができるというメッセージが込められていました。しかし、白人男性を救世主に見立てたストーリーがアメリカの右派に利用され、陰謀論を広めることになってしまいました。この状況に憤りを感じていたウォシャウスキー監督はこの続編で、差別主義や商業主義を強烈に皮肉っています。
参考にしたサイト:VG+ (バゴプラ)

主人公のネオとヒロインのトリニティは再びマトリックスに取り込まれ、違和感を抱きながら、偽りの安全の中で単調な毎日を生きています。ネオが先に覚醒し、トリニティを現実世界に連れ戻そうとしますが、トリニティは拒みます。この違和感の中から抜け出したいけれど、今の生活を捨てられない…

悪役のアナリストは言います。(正確なセリフは忘れましたが)「羊のような人々」は支配されることを望んでいる。自由や権利よりも、今の安全と安定を望むのだ、と。ちなみにこのアナリスト、差別主義丸出しといった役どころで、そうした言動をとる人たちへの痛烈な批判を感じます。

マトリックスから全群教へ

だから全群教に入りませんか?
「なんでやねん!」と思いますよね(笑)

今の教育や仕事の在り方に違和感を抱いてはいませんか?
「これって子どものためになってるの?」
「もっと子どもたちのために時間を使いたい」
「これって教職員の人権守られてないよね?」
と思うことありませんか?
でも「仕方ない」と諦めていませんか?

違和感の中から抜け出すには、「おかしい」と思うことに対して「おかしい」と声を上げ、マトリックスから抜け出すしかありません。もちろん、独りよがりの正義を声高に叫んでも現実は変えられませんし、自分の考えだけが正しいと考えるのは危険です。だから多くの仲間と一緒に考え、「これからの教育はどうあるべきか」を議論していくことが大切です。

教職員は校長の職務命令に従う義務があります。しかし、校長の命令やお願い(そもそも仕事に対し職務命令を出さず、「お願い」でやらせることが問題です)、あるいは学校の方針に違和感を抱く時もあるのではないでしょうか。そういうときは法令(労働基準法や憲法、子どもの権利条約など)違反の可能性があります。しかしその時抱いた違和感を放置しておけば、それはそのまま流れていき、既成事実化してしまいます。

全群教は、今の教育の在り方や教職員の働き方に違和感を抱いている人たちが集まっている団体です。組合に入れば、すべて自分の望みが叶い、夢のような労働条件が降ってくるわけではありません。しかし、違和感を出し合い、みんなで議論し、現実を変えるための行動をしていきます。不当な扱いを受けている仲間がいれば、一緒に声を上げます。みんなで学び合い、本当に子どもたちのためになる教育を目指します。

理不尽な現実は誰かが変えてくれるものではありません。当事者自身が声を上げ、変えていくものです。

私たちと一緒にマトリックスから抜け出しましょう!
まずはお問い合わせを。

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