定期大会を開催しました
定期大会
6月4日(土)に、久々に対面で定期大会を開催することができました。日々忙しい中、休日まで都合をつけて組合活動のために集まるのは大変ですよね。会場に行くまでは「面倒だなぁ」と思っていたかもしれません。でも、やはり実際に会うことで課題が明確になったり、つながりを確認したりできます。直接対話することの大切さを再確認することができました。
参加できなかった方たちが文章で寄せてくれた現場の声についても紹介しました。現場からの実態報告はとても重要です。多くの学校からの報告を聞くと、「そんなことが起こっているのか…」と愕然とするものもあります。全群教として、今後の県教委要求などに反映させていきたいと思います。
大会は全群教の「最高決議機関(規約17条)」で、組合としての今後1年間の方針を決定します。組合は「They」ではなく、「We」の組織です。一人一人をみんなで支え合い、一緒に声を上げていきましょう。
未配置問題
教員未配置は待ったなしの緊急事態です。
補充もないままどんどん人が減っていく恐怖。
いくら要望しても、結局は現場任せの教委。
忙し過ぎて殺伐としてくる職員室。
先生たちの不安が伝染して落ち着かない教室。
なぜか予定通りに実施される指導主事訪問。
全群教は昨年度から緊急措置として「指導主事を現場に派遣すること」を要求しています。指導主事が忙しいことは承知しています。教委側が指導主事訪問をやらねばならいことも、納得はしていませんが理解はしています。
しかし今現実に、子どもたちの目の前に先生がいません。先生たちは休憩も取れないまま、毎日遅くまで働いています。そんな中、指導主事訪問で多忙化を促進する理由はどうしても分かりません。
教員不足の本質的解決のためには、先生を増やすこと、まともな環境をつくって、先生になりたい人を増やすことが必須です。しかし今はまず「子どもたちの目の前に先生がいない」という緊急事態に対して「今できることを、今すぐにやるべき」という要求を強めていきます。
研修の権利
ようやく教員免許更新制が廃止されます。百害あって一利なしの制度ですから、単に廃止するのが当然ですが、国は代わりに新たな研修制度を導入しようとしています。
これに対抗するためには「研修を増やすと忙しくなるからやめろ」という運動ではなく、「教師が自ら研修する権利を保障せよ」という運動が必要です。
そもそも教師には研修する義務と権利があります。そして本当の研修とは、上から「これが正しい授業のやり方だから、しっかり研修して覚えなさい」とやらされるものではなく、もっとよい授業をするために、自分がやりたいことを自ら探求していくものです。
第二十一条 教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。
教育公務員特例法
第二十二条 教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない。
2 教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。
今、教師の研修権を侵害しているのは、教師から時間と裁量を奪い続ける教育行政そのものです。「よい授業をしろ」などと言われなくても、私たち教師はよい授業をしたいのです。堂々と「よい授業をするためにこそ研修権を、私たちに時間と裁量を保障せよ」という運動を強めていきましょう。
育休を取ろう
育休を取得した男性からは「赤ちゃんと向き合うことで、教育って何なんだろうと深く考えました」という発言がありました。赤ちゃんは、怒鳴りつけても言うことを聞いてはくれません。これこそが教育の本質です。
大人にとって都合のよい子どもを形成していくことが「教育」ではありません。私たち大人が、その子ども一人一人の成長をどうやって支援していけるかについて悩んで、相談して、試行錯誤していく過程こそが大切です。誰かが決めた「課程」に当てはめることが大切なのではありません。
だからこそ、誰もが育休を取れる体制をつくることが大切です。育休を取る人に「迷惑かけて申し訳ありません」なんて言わせるような労働環境は絶対に変えなければなりません。
だから全群教を広げよう
論理的に正しいことを言っていたとしても、多くの人が声に出してそれを求め、行動しない限り、現実世界は変わりません。
今の働き方について「おかしい気がする…」と、なんとなく感じている人はたくさんいます。そういう人は「これっておかしい気がしない?」と、誰かに話しかけられることを心の底では待っています。本人はまだ気づいていないだけで、おかしいことには「おかしい」と声を上げ、変えたいと願っています。
世界を変えた大きな運動も、最初は必ず1人の声から始まりました。キング牧師だって、ネルソン・マンデラだって、最初は少数派だったのです。
だから勇気を出して、まずは隣の席の人に話しかけてみませんか?