ぐんま教育のつどい2023

開催日時は2024年1月27日(土)です。
教職員に限らず、どなたでも参加できます。

その研修、子どもたちのためになってる???

普段の研修で「勉強になったなぁ。これで子どもたちのためになるぞ、ウヒ♪」と感じたことはありますか?

指導案を練り上げて、授業を組み立てること自体は悪い事ではありません。でも…、「これってホントに子どもたちのためになってるのかなぁ…」と感じたこともあるのではないでしょうか。

例えば校内研修の指導案、誰のために書いていますか?

「子どものため…?」いや、どう考えても「指導主事のため」ではないですか?

指導主事の仕事は、目の前の子どもたちのために良い授業を創ることではなく、私たちの授業を指導要領に合致させることです。それは「指導要領は絶対に正しい」ことを前提にした、認知的不協和による本末転倒であり、まるでプロクルステスの寝台です。

認知的不協和

自分の中に矛盾する2つの認知が生じたときにあらわれる不快感を示す心理学用語。人は、この不快感を解消するために、矛盾する行動と認知のどちらか一方を変えます。自分がやっていることが「無駄だ」と感じたとき、「無駄なものはやめよう」と考えて行動を変えるか、「無駄なはずがない」と考えを変えるか、どちらかを選択します。

「指導要領に合わせることが子どもたちのためになるわけないのだから、時間をかけるのはやめよう」と行動を変えるか、「指導要領に合わせることこそが子どもたちのため」と考えを変えるかのどちらかです。

私たち全群教は「教育には模範解答があって、子どもたちを指導要領(国家)が決めた正解に はめ込むことが大切」というやり方自体が間違っていると考えています。

指導要領に描かれる、国が決めた理想の子ども像に合わせようと頑張れば頑張るほど、目の前の子どもたちに必要な教育から離れていきます。

本当の教育とは、「目の前の子どもたちのために何が必要か」を教師自身が考え、多くの人と話し合い、試行錯誤しながら進めていくもののはずです。

もう一度 ルソーやデューイを読み返して、「本当の教育とは何か?」について一緒に考えてみませんか?

校長や指導主事はもちろん、ルソーやデューイを読んでますよね

義務としての研修ではなく、権利としての研修を求める

全群教は義務としての研修押し付けに反対し、「指導主事訪問を減らすこと」を要求し続けています一定の成果をあげています)が、教委は「指導主事訪問は、子どもたちのため、よりよい授業をしてもらうために必須」と言います。

本当でしょうか?

「あ~、指導主事訪問ありがたいなぁ。これで子どもたちのためになるぞ~。ウヒ♪」と言っている人に、ついぞ出会ったことがありません。

教師にとって研修は「義務」であり「権利」です(教育基本法、教育公務員特例法)。

文科省や教委は「義務として研修させなければ、教員は学ばない」と思っているのかもしれませんが、私たちは学びたいのです。もっといい授業がしたいし、子どもたちのための教育がしたいのです。そのために必要なのは研修の押し付けではなく、学び、考える時間と教育活動の自由です。しかし研修(や その他の不要な仕事)のせいで自己研鑽の時間が削られる という笑えない実態があります。

文科省は教員の質向上のために研修を見直すなどと言っていますが、余計なお世話です。長時間過密労働で学ぶための時間を奪い、マニュアル的な研修で教職員のやりがいを削いできたのは一体誰なのでしょうか?

全群教は「権利」としての研修を追求しています。それが「教育のつどい」です。もっといい授業をするため、子どもたちを真ん中にした教育をするため、一緒に学びませんか?

具体的には、何人かの人に教育実践レポートを発表してもらい、その後に意見交流をします。もちろん指導要領に合わせる実践ではなく、子どもたちを中心に考えて行った実践です。模範解答なんてありません。

参加費は無料です。お気軽にご参加ください。

ゲストは大槻美咲さん

ゲストはミャンマーの平和を創る会共同代表の大槻美咲さんです。

大槻さんは在日ミャンマー人です。日本の大学に留学し、卒業後は日本で暮らしています。「ミャンマーの平和を創る会(チィチィキンキン)の共同代表として、ミャンマーへの人道支援、留学生や技能実習生の支援のために活動しています。

私たちにできることは、まず「知る」ことです。ぜひ、一緒に学びましょう。

 

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