教育基本法を知ろう②

不当な介入とのたたかい

2007年から行われている、百害あって一利なしの全国学力・学習状況調査(全群教は教委に「実施しないこと」を要求しています)ですが、実は1961~64年にも悉皆の全国学力テストが行われていました。この時は広範な反対運動によって廃止にまで追い込んでいます(旭川学テ訴訟で裁判所が全国学テには問題があることを認定)。当時、不当逮捕や処分に負けず、戦い抜いた先輩方には尊敬しかありません。

また、1970年には家永教科書裁判において杉本判決を勝ち取ります。

教科書裁判とは歴史学者の家永三郎氏が、自著教科書への検定不合格処分などに対し、「憲法違反である」と政府を相手どって30年以上に渡って戦った裁判です。最終的に、(政府に有利な判決を出すことの多い)最高裁でさえ、検定における裁量権の逸脱を認めざるを得ませんでした。

【杉本判決】教科書検定制度自体は「違憲とまでは言えない」としつつも、教科書の記述内容の当否に及ぶ検定は憲法21条2項が禁止する「検閲」に当たると同時に、教育基本法10条(教育への不当な支配の禁止)にも違反するとし、処分取消請求を認容した。家永の主張をほぼ全面的に認めた画期的勝訴となった。

Wikipedia 家永教科書裁判より

こうして1960~70年代は、教育基本法改悪への動きは鎮静化します。

中曽根臨教審

1984年、中曽根首相が臨時教育審議会(臨教審)を設置します。

「我が国の伝統・文化についての正しい認識や国家社会の形成者としての自覚に欠け、しつけや徳育がおろそかにされたり、権利と責任の均衡が見失われたりした」「一部の教職員団体が政治的闘争や教育内容への不当な介入(?)などを行ったこともあって、教育界に不信と対立が生じた
などとして、政治主導の教育改革が進められました。

要は、「最近の若いモンは権利ばかり主張して、躾がなってないから、管理統制を強め、戦前のようにお国に奉仕する国民を育成したい」ということです。さらに英米に合わせ、新自由主義による市場化と競争を教育に持ち込み、規制緩和と教育サービスの多様化を謳います。

しかし中曽根氏は、この臨教審を「失敗だった」と評価しています。教育への支配統制を強め、教育基本法改定まで進みたかったのに、「自民党文教族の抵抗によって阻止された」というのです。(まだこの頃は首相の一声で何でも決まるわけではなく、議会制民主主義がギリギリ機能していたようです)

この視点から臨教審答申を読むと興味深いです。「個人の尊厳や個性の尊重が大事」「公共に尽くす心が大事」という真逆の思考が同じ文脈の中に登場するという、チグハグな文章になっています。賛否双方の政治家に配慮しながら、文部官僚が苦心して作文したのでしょう。

当時は、いくら首相がタカ派でも、「さすがに憲法や教育基本法に手を付けるわけにはいかない」という空気だったのではないでしょうか。

なんとか、教育基本法改悪は免れました。

ベルリンの壁崩壊が教育基本法改定の引き金に!?

1989年、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わりました。社会党を支えていた総評(日本労働組合総評議会)が解散し、日教組も分裂します。

1991年にはソ連が崩壊し、世界中で資本主義の勝利が謳われます。当時のソ連は単なる専制国家であり、社会主義(共産主義)から遠く離れたものでしたが、「社会主義は間違いであり、資本主義こそが正しいことが証明された」というイメージが拡散されました。そして社会党は求心力を失っていきます。

国際情勢が変化する中の1992年、従軍慰安婦に日本軍が関与していた証拠が出たということで、当時の宮沢首相が韓国の盧泰愚大統領に謝罪。93年には河野談話が出され、細川首相は日本の戦争を侵略行為であったと認めます。そして95年には、大日本帝国の侵略戦争への反省を明記した村山談話が衆院で決議されました。つまり日本はようやく「過去の戦争は侵略であった」と、国家として正式に認めたのです。

過去の侵略行為について謝罪・反省し、新たな協力関係を構築していく。

この当たり前の判断が、大日本帝国の侵略性や加害性を認めようとしない勢力からの強い反発を生み出しました。それらの人々が教科書を「自虐的だ」と攻撃します。そして教育基本法改定に照準を合わせ、2000年には森首相に「新しい教育基本法を求める要望書」を提出しました。この運動を支えていたのが『日本会議』です。
※日本会議研究については多くの書籍が出ていますので、それらをご参照ください。

書店に嫌韓や反中を煽るヘイト本が並び、テレビで「日本スゴイ!」系の番組が増え始めるのもこの頃からです。バブル崩壊後、高まる人々の不安感とヘイトの増加には、何らかの関連があるのかもしれません。
※第一次大戦後、経済的に困窮する人が増えたドイツで「ドイツスゴイ!」と叫ぶナチスが大衆の支持を得ていった歴史を思い出します。

小選挙区制導入後、自民党内で(特に小泉政権以降)中央集権化が進み、タカ派の勢力が強くなりました。そして、教育基本法及び日本国憲法改悪への動きが加速していきます。

つづきは「教育基本法を知ろう③」へ

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