イスラエル軍元兵士が語る非戦論

※オレンジの枠内は本文からの抜粋です。「イスラエルと日本、似ているところがたくさんあるなぁ」と感じました。ぜひ、元の本も読んでみてほしいと思います。

「お国のため」という刷り込み

英霊に感謝!?

毎年5月頃(ユダヤ歴によるので不定)に「戦争とテロで亡くなった人たちの追悼記念日」がある。「犠牲者の上に、今わたしたちがここにいる。この人たちの死を決してムダにしてはならない。今度はわたしたちが国を守るために戦うぞ」という気持ちが自然に湧き上がってきました。「平和のためにアラブ諸国と仲良くしよう」などとは考えたこともありません。

イスラエルにはユダヤ教のさまざまな祭日がありますが、それらも「強い軍隊をもたなければならない」「軍隊があってこそわたしたちは安全な生活ができる」という意識を強めています。

「英霊に感謝」という靖国史観とそっくりです。また、イスラエルの祭日がユダヤ教にちなんだものが多いのと同様、日本の様々な祝日は天皇由来のものが多くなっています(戦後、天皇由来の祝日は廃止されましたが、その後徐々に復活していった歴史的経緯があります)

日本の為政者は、国民の多くが「強い軍隊をもたなければならない」「軍隊があってこそわたしたちは安全な生活ができる」という意識をもっているイスラエルが羨ましいのではないでしょうか。

NHK朝ドラ『ブギウギ』の中で、夫を戦争で失った女性が「日本は勝ちます。そうでなかったら、夫は犬死です」と主人公に食って掛かる場面がありました。戦争で身内を失った方は、「意味のない戦争で大切な人を殺された」と思いたくないので、戦争に疑問を呈する人に反感を抱くことがあります。しかし、被害者同士が反目し合うと、本当の加害者の姿が見えにくくなります。そうならないためには学ぶしかありません。

巧妙な「洗脳」プログラム?

「愛国者」育成プログラム!?

イスラエルには、日本のような同調圧力や忖度はほとんどありません。日本の戦前・戦中のような「洗脳」教育ではありません。小学生でも国政選挙になると右派と左派に分かれ、「あなたはどう思う?」などと政治問題について議論します。

また、無意味な校則で子どもたちを縛ったり、教員による体罰とか、教員が授業で政治的な発言をすると校長や教育委員会、政治家からとがめられたりするというようなこともありません。

イスラエルでは誰もが自由な教育を受けたと思っています。しかし、これが不思議なことに、気が付くと18歳で高校を卒業する頃には、ほとんどみんな徴兵に応じるのは当然だと考え、進んで軍隊に入ります。「そういうもの」だと思うのです。戦争以外に平和という選択肢があるのに、そうは考えられません。一見「洗脳」教育ではないのですが、結局は「愛国者」が育成される環境が整えられ、プログラムが組まれているのです。

「同調圧力や忖度がなく、自分の頭で考えて議論する」という部分については、イスラエルの教育を羨ましく思います。しかし、一見「洗脳」には見えないのに、「国のために死ぬのは素晴らしい」と考える国民が育成されるのですから巧妙です。

ただしこれは「独立翌日から戦争が始まる」という、異常な建国プロセスを経てきたイスラエルだけに当てはまることかもしれません。アラブ人のいた土地に強引に作った国なので、アラブ人の権利を認めると建国の正当性そのものが失われ、自国の存在自体を否定することにもつながりかねません。

本来なら、「イスラエルの建国プロセスには正当性がない」ことを双方が認めた上で、「今の状況からどこまで互いに譲歩できるか、どうすれば双方が平和に暮らしていけるのか」を粘り強く話し合うしかありません。しかしイスラエルは「正当性がないことは絶対に認めない」ことを前提としているので、話し合いのスタート地点にすら立てません。

日本と中韓との関係に少し似ています。「日本が侵略戦争をした」という事実を互いに認めた上で粘り強く話し合うべきなのに、「侵略ではない。いつまでも昔のことを蒸し返す中韓が悪い」と言い続けるので、話し合いのスタート地点にすら立てません。
※それぞれの国の政治勢力が国民の憎悪感情を掻き立てるプロパガンダを行います。だから私たちは騙されないために歴史を学び、自分の頭で考える必要があります。「中国や韓国は嫌い」と公言する人がいますが、話し合いに「好き嫌い」は関係ありません。事実を基に、論理的思考によって互いの認識の違いを埋めていき、それぞれが安心できる関係を作ればよいのです。

カッコつき「平和教育」の正体

悪いのは彼ら。わたしたちは善!?

わたしたちは「平和教育」を受けたと固く信じていました。ただし、「絶対に戦争をしない」という意味での平和教育ではなく、「平和は大切だ。そのためには力(抑止力)が必要だ」ということを疑わせないという意味での「平和教育」です。

教師や親は「もちろんわたしたちは平和を望んでいる」と言います。しかし、その後、必ず「彼ら(アラブ人)も望めば平和になる」と続くのです。いつも悪いのは彼ら。わたしたちは善、彼らは悪という言い分を教師や親などからよく聞きました。そして、自然にわたしもそう考えるようになりました。

わたしたちが受けた「平和教育」とは、実は差別教育だったのです。わたしたちの頃にはありませんでしたが、現在は高校生にアウシュビッツ見学もさせます。しかし、それは戦争の悲惨さと人間の尊厳の喪失を学ぶのではなく、「悲劇を二度と起こさないために軍事力は大切だ」と思い込ませるためです。

「こちらは平和を求めているのに、相手のせいで平和にならない」。これも日本の為政者の言い分とそっくりです。

日本は平和を求めているのに、中国や北朝鮮が攻めてくるかもしれない。韓国も反日教育をしている。
だから憲法を改正して
「軍隊をもたなくてはならない」
「軍事費を増やさねばならない」
「緊急事態条項で、政府に独裁権を与えねばならない」
「すべては国民の安全のためである」
本当でしょうか?

政治家の仕事は他国の政治家と徹底的に話し合って、「戦争を起こさない」ことです。しかし今は国民の不安を煽って、軍備増強に突き進むばかり。日本はどんどんイスラエルに近づいている気がします。

残念ながら教員の中にも「中国や韓国が嫌い」と言う人もいます。そして必ず「向こうが日本の悪口を言わなければ、こっちは何とも思わないのに」と言います。ここもイスラエルと似ています。
※どの国にも色々な人がいます。「日本は」「中国は」「韓国は」「イスラエルは」という大き過ぎる主語はあまり使うべきではありませんが、他に適当な表現方法が見つからないので使っています。

よりよい軍隊をつくるための宗教?

戦争の目的は平和!?

軍隊仕様の旧約聖書は、内容は市販されているものと同じですが、ラビ総長(宗教指導者)の言葉が記されています。
「戦争をしたとしても、その最終目的は世界平和です」
当時のわたしは、これを矛盾とも思わず、信じ込んでいました。

また、「旧約聖書を読むことでユダヤ教の源を学び、このことによってより良い民族、より良い軍隊をつくれるようになります」とも書かれています。「より良い軍隊をつくるための宗教」とは、一体何なのでしょうか。

旧約聖書には「十戒」もあり、そこには「殺してはならない」という戒律があることはよく知られていますね。人類が共存し、生き延びていくために、こちらの極めて重要な戒律が守られず、「子山羊をその母の乳で煮てはならない」というどうでもいいような戒律が重視されているのです。

いつの時代も為政者は「国を守るため」「平和のため」と言って戦争を始めます。あのヒトラーだって、そう言って戦争を始めています。そして、為政者に取り入る自称有識者たちがしたり顔でそれを補完します。

ちなみにユダヤ教の戒律では肉と乳製品を一緒に食べることはご法度です。聖書に「子山羊をその母の乳で煮てはならない」と書いてあるからです。でも「殺してはならない」は、平気で破るのだから不思議です。でも、日本の学校も「教育にとって大切なことは何か」という議論はせずに、「髪の毛の長さはどこまで認めるか」「靴下のワンポイントは認めるか」なんてどうでもいいことを議論しているのだから、似たようなものかもしれません。

イスラエルでユダヤ教の戒律を守って生活している人は、実は人口の2割ちょっとだそうです。講演の後の食事会で、ダニーさんはチーズハンバーグを食べていました。ユダヤ教ではありえないメニューです(笑)。また著書の中で、ユダヤ人であるダニーさんが「旧約聖書」と書いているのも、個人的には面白かったです。ユダヤ教徒にとって聖書といえば「旧約聖書」であり、わざわざ「旧約聖書」と言うことはないからです。ダニーさんの反骨精神を感じました(笑)。

答えは出ている

憲法9条の理想を実現させるのは私たち

イスラエルは、GDPの5%も軍事費に使い、最先端兵器を保有していながら、アメリカから強力な軍事的支援も受けていながら、1948年の建国から2023年現在まで75年間ずっと殺し、殺される泥沼の争いを続けています。

「武力による平和」。これがウソであることは毎日のようにイスラエルで証明されているのです。

他方、日本はどうでしょう。平和憲法のもと、2023年まで戦後78年間も戦争はなかったではありませんか。歴史が証明しています。答えは出ているのです。憲法9条の理想を実現させましょう。

人々が銃を持てるアメリカと、銃を持てない日本、どちらが安全・安心か、考えるまでもありません。

トランプ大統領(当時)が言った「悪い人間から身を守るために、正しい人間が銃をもつべきだ」という主張を支持する日本人はほとんどいないはずです。であれば、「悪い国から攻められないために、軍備を増強すべきだ」という日本政府の主張にも、一旦落ち着いて考える必要がありそうです。

イスラエルがどれほど軍備を増強してもテロは防げません。世界最強の軍隊を誇るアメリカでもテロは防げません。「テロを防ぐために武器を持つ」のではなく、「テロが起こらないような世の中(貧困・抑圧・差別などの構造的暴力がない状態)をつくるために話し合う」しかないのです。これが本当の積極的平和主義です。日本政府は「積極的平和主義」を、「積極的に軍事力を強化し、抑止力を高める」というまったく違う意味で用いています。完全にイスラエルと同じ発想です。

冷笑するのがカッコイイ?

理想と認めているのなら…

国の安全を守るのに、こうすれば間違いなく誰も死なないで済むという政策はありません。ですから、わたしたちは、武器に頼るのか言葉に頼るのか、どちらが誰も死なずに済みそうかを選ぶことになります。日本国憲法は「絶対に戦争反対」、つまり言葉を選んだのです。

こういうことを言うと、「それは理想論だよ」「現実を見ろ」と冷笑する人がいます。しかし、理想だと認めるのなら、理想のために愚直であっても何らかの努力をすべきではないですか。人間が理想を言わなくなったら、地球に存在する意味がありません。

知った風に物事を語り、安全な「どっちもどっち」と冷笑している人は、何となく本質を語っているように見えるかもしれません。「戦争するな」「人権守れ」と街で声をあげる人は泥臭く、カッコ悪く見えるかもしれません。

でも、「戦争するな」「人権守れ」と言う人がカッコ悪く見える社会って、とても危険だと思いませんか?

圧倒的な権力をもった強者に対し、弱者である一市民が抵抗するには、団結し、愚直に、泥臭く声を上げ続けるしかありません。そしてそれは憲法で保障された権利です。多くの先人たちが命と引き換えに、私たちに残してくれた権利です。

先人たちが命がけで勝ち取った人権を守り、もう二度と戦争させないことこそが、本当の先人への感謝ではないでしょうか。

いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。

これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

「あたらしい憲法のはなし」は戦後数年間だけ使われた、文部省が作った教科書です。戦後の数年間だけ、日本は本気で戦争をしない国を作ろうとしていました。その後「逆コース」の動きの中で再軍備化が狙われましたが、日本国憲法によって何とか阻止してきました。

日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

日本国憲法は私たちに人権を保障してくれています。為政者にとっては邪魔なものです。国民に人権がなければ、何でも思い通りにできるからです。

だから憲法12条は予言しています。「きっと将来、国民の人権を制限しようとする為政者が憲法を壊そうとする。だから人権を奪われないように、不断の努力が必要ですよ」と。

ここで紹介したのは一部分です。「イスラエル軍元兵士が語る非戦論」を読み、理想のために一緒に、愚直に声をあげましょう。

「答えは出ている」のです。

Follow me!

労働組合

前の記事

STOP GENOCIDE