建国記念日? 建国記念の日?
何で「の」が入るの?
2月11日は「建国記念の日」です。
子どもたちの中に(先生も?)「建国記念日」と言っている人はいませんか? 必ず「の」が入るんですよね。何ででしょう?
疑問が湧いたときには?
そうです、歴史を調べることが大切です。
明治政府が作り出した紀元節
江戸幕府を倒した薩長軍。「天皇こそが真の統治者である」という概念を作り出し、幕府を倒した自分たちが明治政府として支配権を握ることに正当性を持たせました。
江戸時代は儒教思想(朱子学)で人々を統治していました。「下は上に従順に従うべき」という思想なので、「下である薩長が、上である幕府を倒した」というのは具合が悪い。だから「下である徳川が、上である天皇を蔑ろにしていたので倒した」と論理だてたワケです。
そして1872年、日本ができた日を「紀元節」として重要な祝日としました。
「ん、何をもって日本ができたというの?」という疑問が湧きますよね。これは、「古事記」や「日本書紀」にある初代天皇、神武が即位した日を太陽暦で換算すると2月11日になることが根拠です。
ちなみに神武天皇が即位したとされるのが紀元前660年です。
ん、紀元前660年???
日本はまだ縄文/弥生時代の真っただ中です(縄文/弥生の違いはコチラの記事参照)。つまり、実在しない天皇が即位した日を「日本が建国された日」と位置付けたわけです。(余談ですが、神武天皇は「古事記」では137歳、「日本書紀」では127歳まで生きたことになっています)
明治政府は天皇関連の祝日をたくさん作っていきました。その背景には「天皇こそが日本の統治者であるという概念を国民に浸透させていく」という目的があったワケです。
【余談】神武天皇即位を元年とする皇紀という紀年法があります。ゼロ戦という戦闘機がありますよね。あれは皇紀2600年(1940年)に採用されたことから零式艦上戦闘機「ゼロ戦」とよばれました。
昭和の四大節(しだいせつ)
昭和の時代には、四方節(1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)が特に大切な祝日とされました。
四方節…天皇が四方に向かって拝む日
紀元節…神武天皇即位の日
天長節…天皇の誕生日
明治節…明治天皇の誕生日
天皇を神と崇める国家神道の押し付けによって、日本は狂信的な軍国主義国家となりました。その一因となった祝日をGHQが改廃します。戦後、紀元節は廃止されました。
四方節⇒元日
紀元節⇒廃止
天長節⇒天皇誕生日
明治節⇒文化の日
建国記念の日
しかし、「GHQによって日本の伝統が歪められた! 紀元節を復活させよ!」という運動を起こす人たちがいました。そして「建国記念日」制定に関する法案が提出されます。
当時は55年体制真っただ中ですから、「戦前に戻すようなことは許せない!」という反対世論も大きく盛り上がりました。
そして折衷案(?)として、「建国記念日じゃなくて、建国記念の日ならいいでしょ!」ということで建国記念の日が成立しました。ちょっとあきれてしまうような歴史です。
「祝日が増えるんだからいいじゃん!」と思う人もいるかもしれませんが、そもそも祝日には「天皇が統治者であるという概念を国民に浸透させていく」という隠された目的がありました。単に、「休みが増えるからいい」という問題ではありません。
というか、そもそも日本は祝日が多い国です。日本人にゆとりがないのは「休日が少ないせい」ではなく、「休むことができない空気と違法な労働環境」です。
「国が祝日を決めてくれれば堂々と休める」という思考を変え、誰もが堂々と定時で帰れる社会、誰もが堂々と年休を消化する社会を、私たち自身で作っていくことが大切です。
伝統の正体
「伝統」という言葉があります。私たちの文化は、過去の人々の歴史的営みの延長線上にあります。伝統はとても大事です。しかし「伝統を守る」という言葉が、今ある差別を肯定し、人権を侵害されている人たちを見捨てるための大義名分として悪用されることがあります。
歴史を学ぶと、差別論者の言う「伝統」というのは、大抵は明治以降の統治の仕組みの中で作られてきたものであることが分かります。天皇を頂点とする家父長制や男尊女卑の考え方を「日本の伝統」とするのは、あくまで支配者側の都合です。
同性婚の禁止や夫婦同姓の強制も日本古来の伝統ではなく、人工的に作られた「伝統」です。本当の意味で大切にすべき伝統と、差別や人権侵害を肯定するための「伝統」を見分けることが大切です。
今ある差別をなくしたら「社会が変わってしまう」のなら、差別を肯定する今の社会の方が間違っているのです。そんなものは伝統でもなんでもありません。
やはり「学ぶ」ことが大切です。
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