もっといい授業がしたい!!
楽しい道徳の授業をつくる会
公式ラインで紹介した、さいたまの「子どもたちと共に楽しい道徳の授業をつくる会」に群馬から参加した方が感想を寄せてくれました。
私は、「楽しい道徳の授業」の、「楽しい」にとても惹かれて参加しました。なぜなら、授業は押し付けではなく、子どもたち自らが意欲的に取り組めるような「たのしい授業」であって欲しいと思っているからです。
こういう、「たのしい〇〇」と言うタイトルなら、私や学校現場で悩みを抱えている人たちにとっても、とても元気をもらえる内容だと思ったのです。
参加者は少なめでしたが、その分、みなさん一人一人の声を聞くことが出来たり、たくさん意見や感想を言えたりできて、とても充実した時間でした。実践発表してくれた方は、始まる前の雑談から面白い方で、たのしそうな予感がしました。
(発表者の)道徳の授業が始まっても、やっぱりたのしく、おもしろかったです。何がかというと、教科書だけで進めて行くのではなく、子どもたちの身近で起きている、いわゆる「あるあるなシーン」を自作の動画で取り入れて、教科書に照らし合わせながら授業を展開して行くと言う形なのです。
今回は一年生の道徳の授業での話で、やはり教科書を読み進めるだけだと、子どもたちには自分の世界とは別物として捉えてしまい、学びとることが、空想だけに終わってしまうと感じました。
でも、今回の授業は、みんながたのしく、そしてわかりやすく考えられる授業だと思いました。こう言う授業をしている先生がいると思うと、とてもうれしくなりました。子どもたちや保護者の方からのお手紙もとてもステキで、子どもたちに愛情を持って、全力で向き合い、寄り添っている姿も伺えて、こんな先生がもっと増えてくれたらいいなと思いました。
学習は大切だけれど、まずは「たのしい」がないと、学ぶべきものも吸収できないと思いました。
第二回もあるそうなので、たのしみにしています。
ありがとうございました。
子どもたちを真ん中に!
道徳は修身の焼き直しであり、非常に問題のあるものです。国が「どんな心をもつべきか」を決め、指導要領に「正解」を示します。教科書会社は指導要領に沿った教科書をつくるので、その通りに授業を行えば、「国の望む正解」に向けて、子どもたちの内心を誘導していくことになります。
教科書通りの授業をすると子どもたちは、「日本はスゴイと思った」「わがままを言ってはいけないと思った」など、エライ人たちが喜ぶ「正解」を書いてくれるはずです。子どもたちはちゃんと「先生はどんなことを書いてほしいのか」を忖度してくれます。でも…
こんなことがしたくて先生になったんだっけ?
教職員組合の役割の1つは「労働者としての教職員の人権を守ること」です。パワハラと戦ったり、交渉で労働条件を改善したりします。
そして、もう1つの役割が「みんなで学び合い、よりよい教育をめざすこと」です。
マニュアルを押し付ける教育に疑問をもち、「もっといい教育がしたい!!」と思う人たちが組合に集って、自発的な勉強会(道徳に限ったものではありません)を開いています。
群馬でも「ぐんま教育のつどい」を開いています(学校単位や地域単位で小規模の学習会を行うこともあります)。全国の「教育のつどい」にも参加しています。(全国のつながりがあるので、今回は埼玉からお誘いいただきました)
学校の研修は「国が決めた指導要領は絶対に正しい」という前提で行われます。だから授業の出発点が「目の前の子どもたちのために何ができるか?」ではなく、「どんな授業をすればエライ人に褒められるか?」にならざるをえません。
そして道徳の授業も、カリキュラムで決まっている以上やらないわけにはいきません。だからこそ、「少しでもまともな授業をするためにはどうすればよいか?」を学び合っています。
「エライ人に褒められること」や「エライ人から怒られないこと」を目指して、「先生になろう!」と思った人はいないはずです。
「指導要領を真ん中にした授業」ではなく、「子どもたちを真ん中にした授業」を一緒に作っていきませんか?
※ちなみに次回の「楽しい道徳の授業をつくる会」は6月10日(土)を予定しているそうです。